投票者 | コメント | 受付日時 |
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翠 | 「事実」消してしまわれたのですね(>_<)でも、詩とそれに対するコメントは拝見しました。 コメントが遅くなってしまいましたが、それは考えれば考えるほど難しいなと思ってしまったからです。この場合の「肯定」とは何を指すのか?と考えていました。もしもこの場合の肯定が「正しいと認めること」であれば、私も否定すべきだと思います。しかし正しいか正しくないかを別として、「受け入れること」を示すのであれば、肯定せよと言う大人がいても不思議はないと思います。しかし私だったら、肯定か否定か、判断は子ども次第ですね。その子どもが(強くなるために)肯定し生きていきたいなら、肯定する手助けをします。否定したいのなら、否定したって構わないと思います。きっと、誰にだって理解しがたい苦しみはあるのだから。 仮に「肯定」が後者を指すのであれば、「事実」にコメントした方とnanaさんは、見ている子どもも違ったのだと思います。「事実」にコメントした方は今目の前にいる子どもを見、nanaさんは子どもの未来、または未来の子どもを見ていたのだと思います。そこに違いがあるかなと思いました。ただ、どちらにせよ、悲しい結果は招きたくないですね。 あくまで私から見た視点ですので、一個人の意見だと思って頂けたら幸いです。 長文、失礼しましたm(__)m | 2012/01/09 (Mon) 12:11 |