詩人:善田 真琴 | [投票][編集] |
玉の緒の絶えぬ契り
姐御肌にて、尾籠かつ卑猥なる話に人の肩ばしばし叩き、喉仏見ゆるかと覚ゆる許りに大口開けて「あはあは」笑ひつつ、下品を上乗せして返し来る。「何やらむ、この女。慎みも無き」と最初は思ひ居りしが、先頃心なしか塞ぎ気味にて、常になく大人しきと覚へたりしを、口さがなき噂話に「筋腫の施術にて、子宮取り去りにければ」と仄聞したり。
とある夕方、仕事に一区切り付け、喫茶室にて珈琲飲みつつ暫し憩はむと扉開ければ、彼の女ひとり窓の外眺めつつ虚ろなる風情にて居たり。折からの夕日の光芒受けて、その横顔綺羅々々しく別人かと見紛ふ許り艶やかなりき。間もなく我に気付きて「嗚呼」と微笑めども、常になく弱々し。
「珈琲や如何に」と問へば「汝の奢りとあらば」と笑ふを「おう、腹膨るるまで飲ましめむ」と応じて、一つ、二つ、三つと買いゆけば「こら、こら。誰かは飲むらむ。汝と妾と二人しか居らざるを」と叱られつつ缶珈琲ひとつ手渡して後、切腹の仕草しつつ「切りにしか」と言へば小さく「うん」と頷けり。「殿方は御子産めぬ女子を如何に思ふらむ」と問はれしに「世間には三十路過ぎにて月のもの自然に上がる女子もあるとかや」と応へぬれど答へにはならじ。
「汝は男勝りなれども、朗ら朗らに裏表なき質にて、愛敬ある女子なれば、この先真砂の数ほどの男、眼前に現るるは必定」と後追ひにて戯れ言めかして請け合へば、「また妾を泣かさむとや優しき言葉かけむとするらむ」と殊勝に笑へり。
後に思へば、我ながら女子に向かひて単刀直入に切腹の仕草は流石に無きをと、返す返す悔めども、憎まれ口日頃より叩き合ひし仲なればこそならむ、今は唯一の女朋友となりぬれば
はらからに
産まれざれども
玉の緒の
絶えぬ契りの
女朋友
【注】
「玉の緒」は「絶ゆ」の枕詞。
【歌意】
同じ腹から産まれた同胞ではないけれど、首飾りの玉を数えてもぐるぐる回って数え尽くせないように、何時までも絶えることがない絆で結ばれた女友達だ、お前は。
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時折、ばさりと馘首の如き音を鳴らして、日陰に残りたる雪くれならむ、三角屋根を滑りつつ地に落ちて部屋居の人を驚かすなり。温暖化とは僻事にて、実には二百年毎の小氷河期に入りたるにや、今年は八洲津々浦々に甚く降り積もりたるとかや。
雪と言へば、西比利亜の永久凍土に眠り居りし古代の種、三万年の星霜を隔てて白き撫子の花咲かせにけりと仄聞致したれど、二万年余り前の氷河期に万毛芻を追ひて陸伝ひにこの地に渡り来たれる我が祖先より更に古き種と思へば、床しき心地いと抑え難くとなむ詠める。
凍て土に
永く眠りし
種ならば
いざ言問はむ
古き事ども
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大学の頃に百貨店にて一週間許り臨時の内職せし折り、地下の社員食堂にて年の頃二十七、八と覚しき玩具売場の売娘と顔見知りとなり、昼餉を共にすること幾度かありぬ。
名を問へば「妾は具志堅なり」とぞ答ふる。「下の名は何ぞ」と重ねて尋ぬれば「笑はるるは必定なれば、な聞きそ」と娘は抗ふばかりなり。「笑はじ。約定せむ」と請け負ひて強ひて問へば、恥じらふがに小声にて「陽子なり」と呟く。「ぐしけんようこ」と声に唱へれば、直ぐに思ひ当たりて、笑ひ押し留むること能はざりければ「笑はじと約せしを、などか」と河豚の如く膨れて娘は怒りにけり。琉球に具志堅用高と言ひし高名なる拳闘家ありて、名前の音似通ふが恥ずかしければ、娘は名告るを躊躇ひし由なりと。
さて、一週間程経て内職の最終日の夜、仕事の打ち上げとて酒宴の席に、その売娘を試みに誘ひにければ、ふたつ返事にて付いて来にけり。飲みかつ語りし内に、楽しき夜は更けゆきぬ。
それより更に一週間許り後の頃にや、休日の早朝、新聞を読みし時、見覚へある顔写真に気付けり。下に小さく名前のあるを読めば「具志堅陽子」とあり。「こは何やらむ」と胸騒ぎ抑へつつ記事を読めば、女は妻子ある男と付き合ひ居りしが、別れ話の拗れにけむ、男に殴られ意識失ひし所を、車の荷物入れに押し込まれ、崖下に投げ捨てられむとする間際に、危く息吹き返して男に抗へども、女の力にて限りあれば、また激しく殴られ、遂に崖下へと転落せられて絶命しにけりとぞ。
犯人は間もなく捕まり、仔細知りたきに、裁判を傍聴せむと足を運べど「親族にあらざれば、期日は教へられじ」と拒まれ、泣く泣く引き下がりぬ。
薄暗き百貨店の、地下食堂の長椅子にて、食後に暫し語り合ひし折りの、やや疲れの見へし彼女の微笑、今も目蓋の内に浮かぶなり。我二十一歳の頃なれば、六つ、七つ許り年長の人なりき。
合掌。
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ひたぶるに
募る想ひの堪へ難く
あられ無く
枯れん許りに喉鳴らし
季節外れの情動に
寒空切り裂く
声挙げて
彷徨ふ恋猫と嘲ても
慎しみ欠くは
人もまた
大同小異の背較べ
取り澄ましたる
聖人君子も
情念の荒馬を御するに
骨折り脛に傷持たぬは
練達なる御者と呼ぶに
些か物足らぬ
味気なき心地こそすれ
恋猫と
嗤はば嗤へ
抗へぬ
内なる声に
従ひしのみ
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今は昔、とある古刹の何某の和尚、庭木の枝に張り渡せる蜘蛛の巣に一匹の蝶々捕らへられて、羽根をはたはた逃れむと必死なるを、あはれと覚して救けむと手伸ばせしところ、四歳ばかりなる稚児の出で来て、口を尖らせ不満気に「蜘蛛があはれなり。な逃がしそ」とぞ言ひける。「何故かくやは言ふ」と不審に思へば問ひけるに、「蝶を逃がさば、蜘蛛の子の腹を空かして死ぬらむが、あはれなり」と言ひ終らぬ先に稚児泣き出すやうなり。「嗚呼、よしよし」とかしら撫でつつ、和尚こころ和みて口元に自ずから笑みの零れたり。
仏法に於て差別は元より区別も是なく、みな等しく仏性備はれるものなれば、美醜は須臾の間、中空に漂へる雲の如しと思ひ至りて「これは長じては一方ならぬ聖となる子なめり」と頼もしく覚へたりとて語り伝へたるとかや。
八雲立つ
いつも心は
澄み渡る
いとけなき身に
苦もなかりせば
(詠み人知らず)
【現代語訳】
蜘蛛のように糸を張り巡らせて何かを企む意図を持たない稚き子供の身の上に、暗雲の陰が射すような苦しみがなければ、八雲立つ出雲ではないが、何時も心は澄み渡るだろうに
【脚注】
「八雲立つ」は「いづも(出雲)」の枕詞。「出雲」と「何時も」で掛詞。「いと(けなき)」と「(蜘蛛の)糸」、「意図」が掛詞。同じく「蜘蛛」「雲」「苦も」が相互に掛かる。八雲の「八」は蜘蛛の八脚を暗喩。
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いづれの頃か知らず、そのむかし業火の箒掃くが如くに天蓋破りて燃ゆる石くれ一つ大地に降り来たり、荒野の草莽焦がして、しうしう音立てつつ白煙立ち昇りき。
日の暮れて、秋風身に凍む峠道なれば、通ふ人影とて更になし。如何なる不思議の働きにか、ぐるりの冷たき霊気に触れたるにや、白煙治まり消えにし跡と覚しき辺りに人知れず星形なる青紫の花一輪、可憐に咲き居りけるとぞ。
さて折しも、追い剥ぎだに怖じ気て避くる荒涼たる山道を鈴の音木枯らしに乗せて登り来る、同行二人の旅の僧あり。草鞋踏み締め歩く先に何やら横たはりしを、気配に感じて指先にて軽く笠挙げ目を凝らせば、獣の屍にてあるらむ、大方骨ばかりに成り果てたる在りき。諸手合はせ、一通り低き声にて経を誦して後、辺り見回せば、寂しげに微笑む件の青紫なる花ありけり。是にも合掌し、手折りて屍の上に手向ければ、俄かに一陣の強き風吹き渡りて旅の僧よろめけど、辛うじて身を立て直し、ふと眼を遣れば、屍の刹那に変じて子犬となりて尾を打ち振り居るなり。旅の僧、甚く驚けど、仏の慈悲のかくなむ救け参らせにけむと思へば有難く、また手を合はせて拝みにけり。
然るのち僧と犬と前に後ろに主従連れ立ち去り行きし道端に、萎れ枯れ果て色を失ひし花一輪残されてあれど何時しか跡形もなく消え失せにけり。土に埋もれしか、天に翔りて再び光り瞬くか、いづれとも詳らかならねど、京へ帰る道すがらなれば、花の名は桔梗ならむとぞ戯れに語り伝へたるとかや。
帰郷とは
いづこへ参る
旅ならむ
尋ね聞かまし
星形の花
(詠み人知らず)