詩人:右色 | [投票][得票][編集] |
例えば、私はそれを「話す」が嫌いだ
「話して」しまえば
水槽から、だんだん、水が抜けてゆき
その金魚が死んでしまう
例えば、私はそれを「撮る」のが嫌いだ
写真として「残せ」ば
インテリアとしての水槽はもうイラナイ
「思い出」という名の金魚は
水槽から出せば、当然、死んでしまうけど
水槽の中に居ても、いずれ、死んでしまう
私は、「思い出」とはそういう生物だと思っていた
だから、「話さない」
だから、「残さない」
しかし、私はクジラと出会ってしまった
忘れていた「思い出」は
私と共に成長し
記憶の海の中、クジラとなっていた
私の「思い出」である金魚は確かに居なくなった
少なくとも「体験」した
私の知っている金魚はもう居ない
ただ、それは、あくまで忘却であって「死」ではなかった
深い深い無意識の底で
「思い出」は私と同じ夢を見ながら眠っていた
クジラと出会った、その日
私は、全ての水槽をひっくり返し
金魚を海へと放した
私の部屋は、写真がたくさんある
誰かに写真のことを話す時
私はクジラの群れの中に居る