詩人:浮浪霊 | [投票][編集] |
通学時間、満員電車、毎朝恒例のこの朝の苦境が私は意外と嫌いではない。
これだけの数の人間を一所に集めると、いろんな人間がいる。
例えば痴漢とか、痴漢になすがままの少女とか。
…私はどうしたものかと考える。
何も起こらない。少女は振り解くでもなくされるがままだ。
不思議だ。ひょっとして合意の上でやってんのか?
女の子の表情は引き攣ってるように見えるんだがなあ。
ジロジロと視線を投げてると、或る時少女と視線が合い、その
ああ。
うん。
これは間違いない。
絶対、同意はねえ。
私は手を伸ばした。
男の拳は厚く、私のそれよりずっと太かったが、私がその小指を掴み取り掌握すると呆気なく引き剥がれた。
男と一瞬目が合う。驚いたような表情。私は道場で習った事を思い出す。
(男の子は強いから、殴り合ったりしたら女の子なんてすぐ負けちゃいます。美郷君、ちょっと右手で先生の道着の裾を思いっきり握ってくれる? そう。皆、よく見てて下さいね。只闇雲にやっても美郷君の手を引き剥がすのは至難の業です。
でもね
男の人の小指を剥がす位なら、女の子でも訳ありません。)
小指は、思ったよりもずっと簡単に折れた。
男の指は180度折れ曲がって垂れた。
男は、信じられないと言いたげな眼差しで私と自分の指を交互に見詰め、やがて猛烈な脂汗を流し始め、引き下がった。電車が停車すると、指が折れた方の手をスーツのポケットに突っ込み、降りて行った。
「あの」
私は振り返る。声は少女のものだった。
彼女は一瞬目をそらしたが、思い切ったようにキッと又合わせてきた。まるで睨みつけられているような気がして、私は少々たじろぐ。
「驚かせたなら御免ね。私未熟者で力の加減ができないんだよ、まだ」
手をひらつかせる。特に手加減する気など無かったものの、私ははにかみを衒い嘯いた。
彼女は酷く緊張している様子で、口を開けたり閉じたりして、見たところ何か言おうと努力している様だった。
次、猪野谷、猪野谷に停まります、という電車のアナウンスが入る。
やれやれ。
それが紺野コンノ真サナと私、楠クスノキ叶カナエの出会いだった。