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亀の部屋


[14] 姫林檎に寄せて
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姫林檎の紅さに
子供のぼくは泣きました
とても綺麗に輝いて
口いっぱいに広がる酸っぱさに
なにかが見えたような気がして

ぼくの家には
お金がありませんでした
父は生来抱えた人の良さのせいで
安定した働き口も見つからず
人生に失望し
ちくしょう

食器棚をも揺らすほどの
大きな怒鳴り声で
小さなトタン屋根の家の中を
満たしていました
きっとそこには
社会に対する憤懣
不平不満
アンバランスさに対する
やるせなさがあったのでしょう
いつか働く気さえ失い
自堕落に
生命を消費消耗していました
それゆえに
ぼくの家には
お金がありませんでした

母はよく
頑張っていたと思います

母が昼も夜も働き
薄い給料袋を大事そうに
ブランド物とは程遠い使い古した
革製のバッグにしまいこんで
僅かに染みる懐の暖かさのおかげで
家の中が少し明るくなった頃
窓の外でツルリと紅い姫林檎が
ぼんやりと丸い月明かりの中
静かに静かに
揺らめいていたことを覚えています

時たま母が
カサカサに割れたその手のひらから
鈍く銀色に光る百円硬貨を
ぼくの小さな手に乗せて
お菓子買ってきなさい

優しく言ってくれました
ぼくは急ぎ取り繕って
足よりも小さくなった靴を履き
ひび割れたガラスの戸を開け
紫陽花と雑草が居並ぶ階段を駆け降り
ちょうど角のタバコ屋兼雑貨屋に
小さい体を走らせました

生まれたてのぼくを知るおばあちゃんが
長年息災なおかげで
その暖かさとともにお店も潰れずに
子ども達の憩いの場となっていました
母から貰った百円で
チロルチョコ
きなこ棒
ゼリージュース
他に細々としたお菓子類を買い
その化学的な味に
子供ながらの満足を覚えていました
おそらくは
あの時点で最高の
贅沢を満喫していたのでしょう
遠くの川原からキジの鳴き声が聞こえ
夕方
世界は紅く
姫林檎のように燃え
たった百円に
無限の愛と生きる辛さを
見いだしていました

おそらくは
ぼくは人として
最高の贅沢をしていたのです
あの味たちを
生涯忘れることはないでしょう
紅く輝く姫林檎の酸っぱさと比べ
際立つお菓子の甘さに
子供のぼくは泣いたのです

2006/01/27 (Fri)

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