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善田 真琴の部屋  〜 新着順表示 〜


[11] 俗人俗物
詩人:善田 真琴 [投票][編集]


高き山に登るは一握の好事家のみにて、労多きに報いて得るものも多く、生涯忘れ難き糧ともなるらん。低き山には万人が登れども骨折り少なき代わりに益少なくして、世事に戻れば日々に疎くなりゆくものなり。

人を導かんと志す程の者は高き山に踏み入るべきに、仏門目指して僧籍得んには甚だ厳しき修行ありと言へども、晴れて僧侶となりて後は曇りて俗人と異ならぬ似非仏者が殆どなり。

鎌倉以来、高き山を削り地均しして平地を歩くが如き易行を継ぐ現今の葬式仏教は、本来の仏陀の教へとは天地の差異どころか換骨奪胎、羊頭狗肉の別物なり。衆生救うべき身が衆生に寄生し、仏陀の語らぬ事を教へと称して語るは詐欺と一毛も異ならず。

肉食妻帯は俗人のよくする所、仏陀は何れの場所より修行の一歩を踏み出されしか、仏者は須く初心に立ち返りて初歩よりやり直すべきなり。

俗人に
何を教えん
俗物の
乞食坊主が
したり顔して

2009/11/20 (Fri)

[10] 恋猫
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ひたぶるに
募る想ひ堪へ難く
あられも無く喉を枯らし
寒空切り裂く声あげて
季節外れの情動に
彷徨ふ恋猫と笑へども
慎しみ欠きたるは
人もまた大同小異にて
君子聖人も
荒馬を御するに
骨折り脛に傷負はねば
練達なる御者と呼ぶに
些か物足らざる心地して
味気なくとこそ思はるれ。

恋猫と
嗤はば嗤へ
寒空の
風身に染みる
人なる我も

2009/11/18 (Wed)

[9] 火守
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怒りも愛も同じく
情念の類にて
過ぎれば身を焼き滅ぼす
火種となるらん
想ひ出は
心底に明滅する
埋み火の如く
ふたたび
燃え盛ること能はざれど
温みを残しつつ
灰と化するまで続くなり

寝息たて
眠るが如き
埋み火の
冷めることなく
三歳過ぎ行く

2008/07/22 (Tue)

[7] 生きて候
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 細々しき事ども数多ありて、片付ける先から又湧き出づる日常の営みの煩はしさ斜めならず、際限なく打ち寄する波に足を浸し、洗ひても払ひても又纏ひ付く砂のざらつき心地悪き様にも似て落ち着かぬ日々の明け暮れ。
 なすべき事先に送りて、纏めて一時に片付けむとする懈怠なる性、習ひとなりて、嵩に怖けて気が遅れ責務の塵と積もりて、徒に月日は過ぎ行き、後悔のみ埃の如く降り積もるかたじけなき有様にて候。
 一歩踏み出せば後は惰性にて動き、次第に興に乗る例もあると思へども、その一歩を促す気が今ひとつ足らざるなり。さて如何にせむ。


春うらら
恥かき散らし
生きて候
地獄極楽
行きつ戻りつ

2008/03/19 (Wed)

[6] 明鏡止水
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 ひねもす夜すがら垂れ
込めて隠棲し居りにけれ
ば、雪降るをも、はや溶
けにけるをも知らざるう
ちに浮世は流れ過ぎ行く
なり。世事離れにければ
憂き事も心乱さるる事も
なく、暖かき陽射し簾の
隙間より洩れ来るを見れ
ば自ずから心穏やかに鎮
み凪たる湖面の如し。



この雪を

如何にと言問ふ

ひともなし

ひいよひいよと

ヒヨドリの啼く

2008/02/11 (Mon)

[4] おにやらい
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仏と鬼の混在。
鬼は内なる煩悩の所作。
本能に盲従すれば猛獣。

日々是、
理性と野性の攻防戦。
刹那刹那に即心是仏。



昨日敗れ
今日こそ克つと
ひたすらに
内なる鬼を
見据える仁王

2008/02/03 (Sun)

[3] 人に成る
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 青成りのままにもぎ取り、冷蔵したる果実は渋く美味からず。
 成人とて子供は人ならざるが如き物言いは僻事なり。世の中見渡せば、政官財民いづれも大人とは名ばかりにて、人倫を知らず容易く矩越ゆる輩数多なり。
 親が子を苛め、或いは殺め、子が親兄弟に意趣を返す。国と国とのいくさもまた然り。
 その大本は自立自足知らざるが故なり。自立とは自律なり。他を鑑み己を顧みて足らざれば欲しがり、奪い取らんとするは我欲なれば、自らを律すべき術知らざるは自ら立つと言うに適はざるなり。生きとし生けるもの総ては他の犠牲の上に命永らへるは自明なれども、足るを知らざれば、全て滅するもまた理なり。
 自立自足の眼目約めれば、忍の一字なり。刃は他に向けず、己の心に向けるなり。其は我慢の意ならず、自ら律する道なりとぞ。
 古人は腹八分目と俗言したり。今尚、学ぶべき処あり。


空を斬る
刀の如き
三日月の
欠けるを知りて
冴える煌めき

2009/10/22 (Thu)

[2] 只今が其の時
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 仏門の末席汚す身にて申すは甚だ不謹慎なれども極楽・地獄、彼岸・此岸の差別は無きなりとぞ思ひ居り候。

 只管打坐して無念無想の境地にある時、即ち其処に極楽は現出するものなり。畢竟するに一切無なれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道も是なく、生死の区別も煩悩の描き出だせる幻夢の如きものなり。

 其の時が只今、只今が其の時と心得、常住死身にて行く末・来世共に頼まぬ覚悟が肝要なりと師の仰せ書きに是有り候。


散りぬれど

花には又の

春もあらん

人の命ぞ

明日も知らざる

2008/01/05 (Sat)

[1] 雲隠れ
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 瑠璃色の夜明けやらず
一人寝の寒さ身に凍みて
淋しさ誘ふ虫の音繁き秋
さへ懐かしと思ひ起さる
る時節と相成り候。

 君雲に隠れ給ひしより
暁つとめての坐禅・写経
日々の習ひとなれど時に
心定むるには益無く愛刀
天次を振ひて雑念払ひ居
れば、己の未熟かたじけ
なき次第に御座候。

 慌しき師走も世を捨て
俗事離れにければ、煩は
しき業も背中焼かるるが
如き責務も格別に是無く
候。

 去る者は日々に疎しと
いにしへより云へど何事
につけても執着は邪なる
ものと心得候へども人の
情は頼み難く寄る辺なき
ものなりと存知置き候。

 一切を忘れざらんと欲
するは悩ましく苦しき種
に自ら水遣り育てるが如
き愚行なれば人は意識せ
ざるに忘却の徒となり申
す次第なりとぞ。


雲隠れ

月は清かに

見えずとも

君忘れじの

胸に華咲く

2008/01/05 (Sat)

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