| 詩人:evans | [投票][編集] |
いろとりどりに咲き誇る
みな色も形も違う
咲く時期も散る時期も違う
わたしは赤がいいな
ぼくは黄色がいいよ
観る人達の感じ方も違う
たくさんの違いが
一緒になるから素晴らしい
通る人達の心が
あったかくなりますように…
そんな想いで咲いているんだね♪
人も一緒だね
それぞれに違いがあるから
違っていても
一緒になろうとがんばっているから
同じ気持ちがあれば
違いや壁は越えられるよ
英知を磨くは何のため
同じ目標に向けて
人生の花を咲かせていきたいね
2016年7月12日
通勤の車内にて
| 詩人:evans | [投票][編集] |
2016七夕の夜
願いの短冊を書いたんだ
これまで沢山たくさん
辛い思いをしたあなたがいる
これまで一生懸命に
健気に生きてきたあなたがいる
一年前の夏の日に
祈りを込めて書いた短冊は
どこかに消えてしまったよ
でも いま振り返ると
願いを書いた短冊が
大きな癒しという希望になって
流れ星の如く
瞬時に現れたんだね
一生懸命に夜空の星を
信じて見つめていたから
見つかったんだ
癒しの流れ星は
あまりにも速すぎて…
心がきれいなきみの中に
光輝いたのかな
人生という舞台上に
突如として現れた希望の流れ星
ぼくも見逃さないように
心の眼を大きくして
捕まえていきたいなあ〜(^^)v
2016年7月11日
| 詩人:evans | [投票][編集] |
あれこれ試してみたけれど
なかなか噛み合わないね
時間をかけてみたり
ときには無理に合わせてみた
でも なかなか上手くいかないね
どうしてだろう?
それはきっと
きみの良いところという
ぼくの強いところという
出っ張りがぶつかりあって
互いに噛み合わないんだね
そして
きみの足りないところ
ぼくの弱いところが
正面から向き合うと
隙間が出来てしまうんだ
互いに長所と短所を
正面から向き合わせて
上手く噛み合わせる
それが人生のパズルだね
2016年7月11日
| 詩人:evans | [投票][編集] |
心も身体も強くなるために
厳しさは大切だけれども
ときには
ほっと癒されることも大事だね
情熱に燃える恵みの太陽
ときには
雲が遮り雨を降らして
ぼくらを癒してくれるように
子育ても同じだね
情熱だけでは
疲れてしまうこともあるよね
ときには
雲になったり雨を降らして
ほっとした
癒される環境も大事なんだね
猛暑に疲れた心と身体に
吹き込んだ今朝の涼風が
そんなことを教えてくれたよ♪
2016年7月5日 自宅にて
| 詩人:evans | [投票][編集] |
熱き太陽は今日も昇る
輝きの太陽は今日も照らす
宇宙を 地球を 日本を 東京を
そしてぼくらの住む街を
眩しいほどに照らしゆく
老若男女
いろいろな思いを抱えながら
誰もが希望の太陽を
心から求めて待ち望んでいる
でも ただ待ち望んでいる
それだけで本当に良いのか
心の闇を照らす
冷えた心を温める
希望の太陽を
ぼくらの一人ひとりの力で
昇らせていこう!!!
2016年7月4日 通勤の車内にて
| 詩人:evans | [投票][編集] |
もうすぐだね
七夕の夜が訪れて
たくさんの希望に満ちた子ども達
現実に疲れてしまった大人たち
誰もが願いを託して
希望の短冊が光輝いていくんだね
緑鮮やかな笹の葉
そして金銀いろ取り取りの彩とともに
あなたはいま
どんな夢や希望を抱いていますか
どんな願い事をしたいですか
その願いを誰に託して
短冊に名前を書きますか
先日ぼくの家にも届きました
七夕の季節に
2枚の短冊に願い事を書いてねって…
あなたはいま
誰に願い事を託していきたいですか
2016年7月3日
わが師匠の誓願の日に…自宅にて
| 詩人:どるとる | [投票][編集] |
していたんじゃないかという結論にたどり着いた。
しかし作家にはなんの動機もない。
作家だけが計画の外で無関係の誰かにころされたのではないかと思う。
作家たちの企みを利用した第三者がいるのではないかという勝手な推測まで出たが、真相を知る者は誰もいない。
「皆、誰もが誰かにころされたがっている。またころしたがっている」 のだとしたらもしかしたら誰もが犯人でまた誰もが被害者になり得るのかも知れない。
| 詩人:どるとる | [投票][編集] |
最初の被害者は石巻という男性だった。
巨大な四角い硝子の中にもうひとつ筒状の硝子を入れて人一人ぶん入れる空間があり、その中に石巻は直立した姿勢で入れられていた。
そして胸ポケットに「」と書かれたカードが入っていた。
そのことから殺人として捜査されたが、一向に犯人の目星さえつかめないまま時効となる。
それからある小説家の書いた一冊の本に警察はたどり着く。
その本は若い作家の書いた小説でその年の新人賞をとったミステリーだった。
その小説の中に出てくる殺人がまさに現実で起きた石巻殺人事件そのままだった。
それからパラダイスというレストランで客に見立てた死体が椅子に座らされてあたかも食事をしているようなシチュエーションにされた奇妙な殺人が起きた。被害者は多数。だが、誰一人関係性のない全くのランダムに集められた人たちだった。死体の傍らにはそれぞれ「虚偽」というカードがあった。
またもやその作家の書いた小説どおりだった。
「硝子の中の殺人」そして
「殺しのレストラン」
警察は作家を捕まえようとしたが、彼は自室でころされていた。
巨大なおもちゃ箱におもちゃと一緒に兵隊の格好をさせられて入っていた。
カードには「道化師」とあった。
それから、捜査は振り出しに戻った。
犯人だと思っていた作家も真犯人の手にかかってしまった。
警察は手をこまねるばかりで一向に犯人はわからなかった。
しかしながらあとであることがわかった。
最初にころされた被害者の石巻には借金がありその借金はもはや返せない額にまでなっていた。
二番目にころされた人たちも同じような事情を抱えた人たちばかりだった。
つまり事件関係者すべてに共通するのは「いつ死んでもおかしくない動機」があったことだ。
これは憶測だが、つまりは皆殺人をでっち上げてころすかわりに次の誰かがころすという繰り返しを
| 詩人:あいく | [投票][編集] |
「ぬ」と「め」と「ね」と「わ」の区別がつかなかったのが小学生の何年生の時だったとか。そんな状態の児童を書道教室に通わせた親御さんの教育方針のちぐはぐさが未だ持って理解不能でわあるが。それが【あいく】さん自身の御両親だったとあらば理解の可否に係らずその影響を被る事わ否応なしと言えましょう。年齢的な修学度合と言うものを示す例をもう一つ挙げるならば、数字の1から100までを"数字"として把握したのも小学生に上がってからであったと思われまっする。恐らくそれまでわ”数字”でわなく”文字”として「1」〜「12」までをとらえており、概ねその役割わ時計の時間を見る事と、TVのチャンネルに関する意思疎通に用いられていたはず。余談になりますが当時わ【TVのリモコン】などと言うものが無く、TVのチャンネルわガチャガチャとやたら硬いダイヤル式のものを回して変えていたとか。こんな話が懐かしいと思える諸兄に至ってわその年齢が(少なくとも)〜歳を下らないだろうと容易に想像出来るものであります。
少しお話しがそれましたが、年齢相応の学習レベルがどのくらいなものか?これについてわ当然に時代背景に影響される部分も少なからずと言えるでしょう。ですが前述での内容を鑑みるに【あいく】さんの(その当時の)学習レベルが「良好である」と言うに憚られるのわ避けられないところでおます。前もってお断りするべきわ今回の話題においての本旨が、決して当時の家庭環境や両親の教育方針の不備を非難しつつ諸兄の同情を誘うものでわ無く。或わ軽いシンパ心をくすぐる為のものでわ無い、と言う事を念押ししておくます。これらの事柄が一つの事実としある、と言う事を前置きとするものなのですとろいやー。
と、"前置き"やら"お断り"やら、やたらに持って回って言い連ねて結局の所わ文字数制限に引っかかります。そんで大仰に述べた「本旨」やらに辿り着いていない始末。「あるある的な共感」や「他人事だからこその同情」なんかをかり立てるのであれば、それこそ安いエッセイ漫画などにお任せするものですが、そこにすら至らぬこのエッセイ(?)、、、明日わどっちだ!?
、、、次回わ出来れば、、、このつづき、、、かも・・・
←TO BE CONTINUED。。。
『指先の僕ら』
| 詩人:ユズル | [投票][編集] |
暖かい窓辺の 優しい雨になる
もう一度 あなたを 優しく包む
涙も 微熱も 痛々しい火傷も
洗い流す 柔らかな 音
純粋さに 傷つけられた 朱い鼓動
頭をもたげる期待が ナイフよりも鋭い
金ぴかのつめたい糸に
足を絡め取られて 転んだ
流れたものは 生きる証拠として襲いかかり
震える声を 恨む 愛おしい 魂
だれよりも 飢えて いつも泣いている
あなたは いるべき 大切なひと
暖かい窓辺の 優しい雨になる
もう一度 あなたを 優しく包む
涙も 微熱も 痛々しい火傷も
洗い流す 柔らかな 音