| 詩人:善田 真琴 | [投票][編集] |
仏門の末席汚す身にて申すは甚だ不謹慎なれども極楽・地獄、彼岸・此岸の差別は無きなりとぞ思ひ居り候。
只管打坐して無念無想の境地にある時、即ち其処に極楽は現出するものなり。畢竟するに一切無なれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道も是なく、生死の区別も煩悩の描き出だせる幻夢の如きものなり。
其の時が只今、只今が其の時と心得、常住死身にて行く末・来世共に頼まぬ覚悟が肝要なりと師の仰せ書きに是有り候。
散りぬれど
花には又の
春もあらん
人の命ぞ
明日も知らざる