詩人:甘味亭 真朱麻呂 | [投票][編集] |
喜びなど餌の時間に過ぎない
食べちまえばほらむなしさに心が悲しい
そのほうがよっぽど悲しい
喜びを知らないほうが幸せだった
知ってしまったあとの僕らは悲しい
でも知らない僕らをイメージしたらなんか悲しい
どちらにしても悲しい
度々僕らに訪れるえさのじかん
悲しみと喜びのあいだでつかの間の自由なんかでくずれる顔
悲しみの間には喜びがそして喜びと悲しみの間には悲しみが何そうにも
その間 さらにその間でサンドイッチ状態でレタスやトマトの気分で今日も肩身が狭いな
世間に吹く風冷たいな
そんなありふれた悲しみ
度々僕らを締め付けるじかん
度々訪れるえさのじかん
疑うこともしばしば
最近は
だけど結局完食するよ
何もないから残さずおなかを膨らます
だけど無意識に食べている
命すら一緒に食ってる
そんな爆弾じみた喜びの美味なこと 美味なこと
悲しみの塩味
喜びの甘味
マッチして美味い
だけどなんか悲しい
やっぱり悲しい
えさのじかん
えさのじかん
例えば金魚の気分で水槽の中
ひたすら待つ
えさのじかん
えさのじかん
悲しいばかり
嬉しいだけの
線香花火の人生
むなしいばかり
切ないだけの
感じるものの大きさだけが嫌にリアルな
えさのじかん 今日もまた何回か僕を笑わせたよ、切なさと後味の良さをはらみながら食後の切なさも美味で永久に食べていたくなるのさ
こんな気持ち
わかってくれるだろうか
僕以外の誰かは
産まれたからこそ
感じる永遠への渇望
それを増幅させる喜び
悲しい嬉しい
えさのじかん
食事のじかん
心に今日も泣く泣く食べさせて いる。