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[175070] 火垂と蝙蝠・起之巻
詩人:善田 真琴 [投票][編集]


湿りて暗き洞穴に一匹の蝙蝠、世を避けて棲み居りき。そこへいづらより迷ひ込みにけむ、蛍一匹舞ひ飛ぶ様なるを、眼は見えざるを耳にて気配感じて「誰そ彼は。何しにか来たれる」と蝙蝠の問へば、「日の暮れ黄昏にければ、一夜の宿借らむとて」と蛍答へけり。

折りから腹の空き居れば、捕へて喰はむと謀りて、「汝の声の遠ければ聞こえじ。なほ近う寄れ」と言へば、蛍「妾をたばかりて喰はむとぞすらむ」と恐れて岩壁の小さき穴に逃れ隠れにき。

蛍は身動き出来ず、蝙蝠も捕えられず、かくて外は夜明けにけれど、洞穴は昼なほ暗し。かたみに困じ果てて成す術なく、時経るばかりなれど、徒然に言葉掛け合ふうちに、互ひの身の上など語り始めにき。

「汝は、この寂しき洞穴に長くひとり住みにかありけむ」と問へば「然り。父母共に我を置き去りに出で行けば、それよりここに独り住み渡るなり」と蝙蝠の答ふ。

「我は白々と明るく騒々しき世界好まざれば、世間を知らじ。如何なる様ならむ教え給へ」と物腰柔らかに蝙蝠の言へば、「外には食ひ物あまたありて、腹膨れ破れむばかりなり。何しか外へ出でざる」と蛍、苦しき中に光明の灯る心地したり。

「中空に夜毎満ち欠け繰り返す唯一無二の大いなる光あり。妾には光なく、輝くこと能はざれども、妾を焦がす想ひ人は、優しき光明滅させていと美し」と蛍の問はず語りに言へば、「唯一無二の大き光とは何ぞ」と蝙蝠の不審がるに「妾らが守り主にて、月読とぞ申すなり」とて。

かくて三日が徒らに過ぎぬ
蝙蝠と蛍、共に飲まず食はず疲れ果て言葉も交はさずありつるを、ふと小穴より窺へば、蝙蝠のうつらうつらと眠る気配なり。「ここぞ。逃ぐる隙は今しかあらじ」と蛍の力尽くして羽ばたく音に、蝙蝠気付けども最早、動く力も気力も既に失せにけり。

「我の如き世に要無き者を相手に、楽しき世間の話聞かせ給ひて、かたじけなし。我はここにて命尽きむとすらむ」と独り言に呟くを背中に聞きて、蛍は「あはれに侘し」と仏心の俄かに湧きにけむ、引き返して「などかは。妾こそ、汝が身の上話聞き侍りて有り難くとこそ。汝は生きてぞ父母を探し求むべき。いざ共に外へと参らむ」と蝙蝠を誘へり。

2012/03/20

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