詩人:チューリップの花束
何もなかったんだとは今も思えなくて
何を確かめるでもなくたくさんの重い記憶を繰り返し反芻してました
何があっても揺るがないものの話とか
こんなこと言ってた時もあったんだよなあ
どうにもならないことをどうかしようという気も勿論ないんだけど
なんか思い出だけは大事にしてるんだよね
時々頭にきて封印したりしながらも
しばらくぶりに開くとやっぱりいいよなあって思う
今日の収穫は完璧な人間などいないから知識がなくても大丈夫だと思えるようなれたこと
ごく狭い特定分野に関しては逆に自分の方が詳しかったりもするのだろうし
そんなこと気にするべきことではないのではないか?
何にも知らない自分に、こりゃ駄目だって逃げたくなったりしてたけど
人間関係においてあまりそんなことは問題にはならないだろう
誠実さとか、思いやりとか、人間的な気持ちの方が重要な気がした
相手の気持ちは言葉から推し量るしかない以上母国語は大事にするべきだし
そういうのに少し気を利かそう