詩人:善田 真琴
速くは飛べぬ火垂を行きつ戻りつ、高木の枝に逆さにぶら下がり待ち居る名無しの耳に、下にて物騒がしき音すなり。生まれて初めて聞く人の声なりき。それに混じりて、微かなれど懐かしき調べ絶え絶えに耳に届けば、教えられ学ばざれども同族なりとぞ自ずから知られける。
なほ耳を澄ませば、弱々しき音の脳裏に木霊の如く響きて、切れ切れに「ココナリ、ワレヲ、救ケ給へ」と意味を成して胸の奥に伝はりぬ。
「あれは肉親が声なり!
救はねば、我しか居らじ」
迷ひなく悟りし覚者の如く、決然と俄かに降下せし名無しの後足の爪が、一人の童部の頭を掠めて飛び去り、休む間もなく直ぐに二の矢、三の矢を矢継ぎ早に放つ。さしもの悪童どもも、黒き悪魔の来襲に阿鼻叫喚、逃げ惑ひて泣き叫ぶ様、ななめならず。
然れども、童部の中に弁慶が如き強者一人ありて、青竹一本振りかざすや、一振りにて名無しを見事に打ち落としにけり。「これぞ返り討ち」とて、弁慶したり顔なり。
したたかに硬き地面に叩き付けられ、肋骨の二本は折れにけむ、意識薄れゆく中に己を呼ぶ声、耳の奥に幽かに響くなり。
「名無し様!名無し様!」
「火垂殿…」
名無しの耳元にて、その名を呼び続くる火垂の背後に「何ぞ虫が居るなり」と迫り来て、そろりと手伸ばす影一つありけり。
「火垂殿!」
俄かに正気に返りし名無し、大声にて叫べば、火垂も咄嗟に身を翻して飛び立ち、危く難を逃れたり。
「名無し様、しばしお待ちを。妾が朋友ども掻き集めて、再び救けに参るゆへ」とて、火垂は草むら繁き上を低く飛び去り、闇に紛れ消えにけり。