詩人:地獄椅子
冷たい風が身を引き裂く季節。俺のかじかむ手にはボロボロの紙幣のみ。
散歩がてらに拾った野口英世が握られている。
なんてファッキンな都市生活だ。
こんな紙切れ、どんなに節制しても五日もあれば消えちまう。
生きる事の営みに、逆らえないまま、どんなに能書き垂れても空腹にゃ勝てやしない。
なぜかこれだけ、ガキの頃からこのハーモニカだけは片身離さず持ち歩いてた。
決して巧くはねぇが、気が向いた時、吹いてみるんだ。
そんな時にゃ俺も、旅人になった気分になれるのさ。
思い出す。思い出す。
あの日幻のような黒揚羽。
俺のメロディに誘われたのか、春風に乗って、どこかからおいでなすった。
俺が人差し指を一本、すっと前に伸ばしてやると、黒揚羽はその指に止まったんだ。
今日もまた穴だらけのポケットから取り出す、汚らしいハーモニカ。
空腹を紛らわすように、曲なんてデタラメだ。
そしたら北風に乗ってビニール袋が飛んで来て、俺の顔面に覆い被さりやがった。
チクショー、何しやがんだ。と腹立てた後、袋の中身を覗いてしまった自分が、惨めでみすぼらしくて。
なあ、俺の気持ちが解るか。野口英世さんよ。
もうすぐアンタを手放さなきゃならない。中華まんと引き替えに。
雑踏に紛れて、ハーモニカを吹く。
白い視線は感じれど、拍手の一つもありゃあしねぇ。
今夜は今冬一番の冷え込みだと、どっかのラジオで耳にした。
黒揚羽よ。いつになったら飛んで来る。