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[32062] ばばちゃん

詩人:望月 ゆき

ばばちゃんが死んだ日のことは
よくおぼえていない


朝、いつものように食卓についたわたしに
ばばちゃんは何か話しかけた
たあいもないことだった
と思う
しかし あきらかにその言葉は
不自然に数箇所どもっていた
それから
ばばちゃんの右側が動かなくなるまで
あまり時間はかからなかった
わたしが小学校の真ん中頃のことだ


ばばちゃんはおかあさんを嫌っていた
わたしの悪いところを叱るときはいつも
おかあさんにそっくりだ、と罵った
それでも
おとうさん似のわたしを
おかあさん似の妹よりも
ずっとかわいがって自慢した
それは少し嬉しかったけれど
わたしはおかあさんの顔が好きだった


幼稚園の遠足で わたしは
お弁当をすこし残して帰った
箱をあけたばばちゃんの顔色が
一瞬にして変わった
鬼だ、と思った
ものすごい形相でわたしを罵倒しながら
右手に包丁をにぎっている
わたしはせまい居間を逃げまわった
さいごはこたつにもぐった
もうすぐ動かなくなる右手で
ばばちゃんがわたしを刺した
かどうかは知らない
そこまでで記憶は終わっている


中学一年のわたしは
病院の白いベッドの脇にすわって
マフラーを編んでいた
ばばちゃんのとなりで
ばばちゃんのために
ではなく
バレーボール部のあこがれの先輩のために
15段ほどすすんだころ
いつもおじいちゃんと交代した


建て替えをしていた家が完成してすぐ
ばばちゃんは死んだ
死んだ日のことはよくおぼえていない
年の瀬のにぎやかな商店会のアナウンスの中
ただ
意味を忘れられたバリアフリーの言葉と
一度も握られることのなかったトイレの手すりが
無機質にたたずんでいた


ばばちゃんの死んだ日のことは
よくおぼえていない
浮かんでくるのは
うすく紅をさした、くちびる
(そうして、それはまさしく、くちびるの部位だけなのだ)
泣きじゃくる妹の横で
泣かないおかあさんと
泣けないままのわたしの
うしろすがた
ただ それだけ


2005/04/15 (Fri)
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