詩人:善田 真琴
大学の頃に百貨店にて一週間許り臨時の内職せし折り、地下の社員食堂にて年の頃二十七、八と覚しき玩具売場の売娘と顔見知りとなり、昼餉を共にすること幾度かありぬ。
名を問へば「妾は具志堅なり」とぞ答ふる。「下の名は何ぞ」と重ねて尋ぬれば「笑はるるは必定なれば、な聞きそ」と娘は抗ふばかりなり。「笑はじ。約定せむ」と請け負ひて強ひて問へば、恥じらふがに小声にて「陽子なり」と呟く。「ぐしけんようこ」と声に唱へれば、直ぐに思ひ当たりて、笑ひ押し留むること能はざりければ「笑はじと約せしを、などか」と河豚の如く膨れて娘は怒りにけり。琉球に具志堅用高と言ひし高名なる拳闘家ありて、名前の音似通ふが恥ずかしければ、娘は名告るを躊躇ひし由なりと。
さて、一週間程経て内職の最終日の夜、仕事の打ち上げとて酒宴の席に、その売娘を試みに誘ひにければ、ふたつ返事にて付いて来にけり。飲みかつ語りし内に、楽しき夜は更けゆきぬ。
それより更に一週間許り後の頃にや、休日の早朝、新聞を読みし時、見覚へある顔写真に気付けり。下に小さく名前のあるを読めば「具志堅陽子」とあり。「こは何やらむ」と胸騒ぎ抑へつつ記事を読めば、女は妻子ある男と付き合ひ居りしが、別れ話の拗れにけむ、男に殴られ意識失ひし所を、車の荷物入れに押し込まれ、崖下に投げ捨てられむとする間際に、危く息吹き返して男に抗へども、女の力にて限りあれば、また激しく殴られ、遂に崖下へと転落せられて絶命しにけりとぞ。
犯人は間もなく捕まり、仔細知りたきに、裁判を傍聴せむと足を運べど「親族にあらざれば、期日は教へられじ」と拒まれ、泣く泣く引き下がりぬ。
薄暗き百貨店の、地下食堂の長椅子にて、食後に暫し語り合ひし折りの、やや疲れの見へし彼女の微笑、今も目蓋の内に浮かぶなり。我二十一歳の頃なれば、六つ、七つ許り年長の人なりき。
合掌。