詩人:夕凪
キャスケットしか
被らない私が
一つだけ持ってる
ポークパイハット ‥
あなたと歩いた
高架下のショップで
あなたが私の頭に
ちょこんと乗せて
似合うと笑って
買ってくれたもの ‥
破天荒なあなたは
いつも皆から変り者と
笑われていたけど
それを楽しそうに
受け入れるから
不思議とあなたは
人気者だった ‥
一度だけあなたが
連れていってくれた
裏通りのジャズ・バー
カラン、と扉を潜ると
タバコの煙と
お酒の匂いが充満する
気だるく陽気な世界が
そこにはあった ‥
あなたはタバコも
お酒も呑まない
それでもこの空間が
一番好きだと言って
奥のソファーに座って
鼻歌を歌っていた ‥
最初緊張していた私も
次第にその空間の
自由な揺らぎに
心地好さを覚えて
気付けばあなたと同じ
顔して笑っていた
店を出る間際
私の顔を覗き込んで
にっこり笑うと
あなたは言った
─ どこに居たって
本当の自由は
自分の中にある
そういうものさ ─‥
それから程なくして
あなたは居なくなった
そのうち帰ってくるよ
皆は気楽にそう笑った
私は、何故だかもう
あなたに逢えない
そんな気がしていた ‥
何年もの歳月が流れ
相変わらずあなたは
行方知れずのまま
あの店もいつの間にか
流行の音楽が流れる
ガールズ・バーに
変わっていた ‥
ポークパイなんて
私には似合わない ‥
そう言って一度も
被ることのなかった
あなたからの
たった一つの贈り物を
何年か越しに初めて
鏡の前で被ってみた ‥
似合わないと思っていた
その贈り物は
驚くほど私に馴染んで
そこに映る私は
見た事のない表情で
凛と立っていた ‥
あなたに見えていた
自由の全部は
今もまだ見えないけれど
ポークパイを被って
今度また
あの高架下を歩く私は
今よりずっと
自由を感じられる ‥
そんな気がした ─‥。