詩人:泪
私は何故産まれたのか
何故今生かされているのか考える
だからと言って答えを知りたい訳ではない
正しい答えはないから
私は私の産まれた意味を生かされていた答えを死に際死んだ時に分かると思っている
事故や事件、病気など命の終え方はさまざまだ
「何でこんな良い子が」と言う人がいる
「他に死んでもいい人はたくさんいるのに」と思う人がいる
私も死んでもいい人と生きていなきゃいけない人の二種類がいると思う
こんな事を言ったら「死んでいい人なんかいない」と言う人もいるだろう
だけどそんなのはただの偽善で
ただ私がどちら側の人間だったとしても死に際や死んだ後に本気で泣いてくれる人がいればただそれだけでいいと思う
どんな人生だったとしても死んでいい側の人間だったとしても一人でも本気で悲しんで泣いてくれる人がいれば
それが私が産まれて来た生きてきた意味なのだと思うから
その人の為に産まれ生きてきたんだと
私の死に家族が友達が絶対に悲しんで泣いてくれるかなんて確信はない
誰かの為に生きてる訳でも何かをしてる訳でもないから
だから死んだ時に初めて自分の生きてきた人生で無意識でも誰かの為に何かをしてあげて何かを遺す事が出来たのだと分かる時が最期の時なのだと私は思っている