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詩人:右色
だから私は日記をつけない
記億を記録するということは
どこか
自分の記億を軽く見ている気がする
忘れることが前提なんだ
忘れなければ記録を付ける必要なんて
どこにも無いのだからね
大切な思い出や感動をすぐに記録に残すのは
やっぱり
自分自身に「忘れてもいい」という免罪符を
発行するようなもので
心に持っていた
大切な思い出や感情をただそれだけの装置に
移し変える
例えるならば
海という巨大な背景を持って存在していた魚を
その巨大さに飲み込まれ
見失うのが嫌だから
ちょうど良いサイズの水槽に移し替え
好きなときに飽きるまで楽しむ
そんな行為
それはひどく勿体ないことのように思う
思い出というのは
その体験した瞬間のことだけなくて
体験してから
忘れるまでの間のことを言うのだと思う
だから私は日記をつけない