普遍という観念が何故あるのか?普通が好物の僕たちは血液型の中に性格を方向付ける要素まで見いだして統計学に未来まで託して退化したその足は、腐り落ちたその足は一体誰が拾うのだろう?口に出した瞬間に意味を失う言葉が確かにあるとしてそれでも僕らはわかったつもりでぶつかり合って傷を舐め合って記号化された感情を、弱さを誇ってしまった心をどう飼い慣らして行けばいいのだろう?空白に存在を感じるといったあなたには僕は一体、何に見えますか?
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