詩人:さらら | [投票][編集] |
北の国の人は
今年こそは
いつもの暖かな春を
過ごせるように待っている
だからその季節を望む人たちに
いつも迎える春を
昨年を想い出し
別地域の者が悲観してしまう事を
望んでいる人たちは
少ないと想います
その事を悔やみ悲観的、
悲観症を見せたら
いい加減にしてくれと
想う人たちは少なくない
でも無理してはいけません
辛いことを隠し嘘ついて
辛くないなど
戦争の事実から母国
日本を嫌い
数年前 海外に住み始めた人が
昨年 大地震の日本の映像を見て
悲しく辛く 悲観的な日々を過ごしていました
その人に 無理して元気にならなくていいけど
もう悲観するのは止めてほしいとの伝達
悲観とは涙ばかりではない
怒り続きも悲観
私は おじいちゃんを戦病死させた事実も
その子供が 周囲は親兄弟に囲まれていたのに
祖母とずっと二人暮らしで来たことも
親が被爆し その子供が発症したことが被爆二世だと伝達があったことも
国民を過去の名残
搾取的な傾向としていくような
放射能を正当化し保持存続していく事を望む流れも
怒りが在ります
結局 利権 持った者たちから
人生を搾取されてしまう弱者位置に
置かれた人々
この事実からめを背けているため
放射能の保持存続を望む者たちが居る
春の花 咲かない
覧えない春を
与えてはならない
搾取傾向ある 利権が
春の花 今年は観れますように