詩人:善田 真琴 | [投票][編集] |
作品「フィナーレ」より
微睡みの
擦り切れた夢が
雲のよう
あてどないから
壊してあげる
光り射す
わたしの箱庭
煌めいて
始まる日々へ
抜け出した愛
あなたにも
伝えてあげる
鮮やかな
色の風船
空に放して
原詩/枝豆さん
編歌/不肖善田
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作品「盲目」より
喉掠め
滴る微熱
その指が
残した記憶
肌に刻んで
抉るよな
幸福に似た
縁取りと
焼け付く笑みで
どうぞ殺して
止まぬ愛
君の脳裏に
溺れたい
朽ちない痕を
残し続けて
原詩/枝豆さん
編歌/不肖善田
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作品「銃声」より
腐敗して
爪の先から
溶けてゆく
喉詰まらせて
示せぬ合図
泣く腕と
問う両の目と
掻きむしる
首見渡せぬ
暗示の糸は
震える手
憎悪の念が
束になる
祈りの形
悲しみの果て
原詩/枝豆さん
編歌/不肖善田
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作品「春霞」より
花咲くや
月夜に映る
面影に
慣れぬ言の葉
降らせば心中
流れずの
心を小袖に
隠しては
漂う雲に
熱帯びる紅
花弁を
一息吹けば
残り香の
夢現の様な
面影になる
原詩/枝豆さん
編歌/不肖善田
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太古より人は安心立命にほど遠く、小さきは細菌より始めて蟻・蚊・蛭などを経て、大なるは肉食の獣に至るまで、人の命は常に外敵に狙われ、更に天変地異の天然にも時に害され、人は風前の灯火の如く長き時代を生き抜きて来たれり。我等は弱き故に文明の利器に守られ、危険減りにし今も、潜在する恐れの胸の内に巣食ひて残り居れば、常に落ち着かぬ心地去らぬなり。今日あるものは、必ず明日もあるとは限らざれど、世の中に哀しみ溢るる許りなれば、人は希みを虹の如き明日に結ばむとすらむ。
憂き世には
哀しみ底に
流れ行く
飛鳥川には
何を浮かべむ
(詠み人知らず)
【歌意】
憂鬱ばかりの世の中で、浮き上がれない哀しみばかりが底に淀み流されてゆく。明日に希望を繋ぐとしても飛鳥川に哀しみ以外の何を浮かべればいいのだろう。
【脚注】
「憂き」と「浮き」、「飛鳥」と「明日」が掛かる。
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見え乍ら敢へて見ざる様に自ら目を閉ざし歩き続くれば、いづれは転ぶらむ。転ぶ危ふさ知りつつ、それに賭くるは博打さながら、手持ちの金子少なく切羽詰まれば、余裕失ひて巻き上げらるるは必定。目的のため過程を顧みざれば、例え手中に収めれども自ら満足するを得ず、臍をかむは火を見るより明らかなり。
然りとて、放置すれば、滝壺に落つる小舟、乗れる当人は目瞑りて寧ろ楽しげなれば、座視するほど縁は浅からじと言へど、血分けたる同胞にてもあらず、当人の本意ならざる事を無理無体に強いる権限もなし。妬み嫉みと人の謗りは恐るるに足らざれど、万一全て御破算にて終はりし後、「故にあの時、止めたりけるを」としたり顔するも醜し。ましてや背中押す気も起こらず。然ても「虞や、虞や。汝を如何せむ」と嘆きし諸葛亮の如き心境なりきとて。
床の間の
虚ろなりせば
慰みに
活けし梔子
はや褪せにけむ
【歌意】
床の間に何も飾りがなく寂しいので、くちなしの花を活けた。その口無しではないが、何も語らぬまま、その色は既に褪せてしまったのだろうか。
【脚注】
「梔子」と「口無し」は掛詞
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草枕
旅の途中の
夕露に
濡れにし花の
人知れず咲く
野にあらば
また来る春も
あるらむと
手折らず過ぎぬ
旅人なれば
長雨に
胸に咲く花
眺めつつ
晴れ間を描く
虹の旅路に
【脚注】
「眺め」は「長雨」の掛詞
「長雨」と「晴れ」は縁語
「草枕」は「旅」の枕詞
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小六の頃、修学旅行の大型観光車両の停車せし折り、窓より路傍にて小便垂れし大人の背中、目に止まりにけり。ぐるりの人もみな気付ける気配なれど、言ひ出す人とてなく気詰まりの空気なりき。
「思ふこと言はざるは腹膨るる業なり」と兼好法師の書きにし如く、更に使命感も手伝ひてか、「あれに小便垂るる男あり」と嗤ひつつ言ひ放てば、我慢の後の放尿感にさも似たり。
然れば、隣に座り居りし女子のおもむろに言ふやう、「みな知りしをただ言はざる許りなり」とて我を叱れり。それは、小一の幼き日に教室にてお洩らしせし我のために、「かれの家は、妾の家の隣なれば」とて、着替えを取りに走りし女子なりけり。
当時、「女子は大人にして、男は勝つ能はざるなり」と思ひ至れど、今も変はらぬ定理なりとぞ。
くらべこし
何時しか越えぬ
妹が丈
下に見つつも
見守られけり
(詠み人知らず)
【歌意】
比べ合った背丈も、何時しか僕が君を抜いて、下に見るほど高くなったけど、見守られているのは僕の方だったよ。
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ところで、パラオの国旗を知っているだろうか。それは、水色の海に黄色の丸い月が浮かぶ図柄だ。どこかの国の国旗と似ている。しかし、その月は日出づる国に遠慮するように、真ん中ではなく少しだけ内側に寄っている。
時に殺人の道具になるから、包丁をキッチンから追放せよ、と主張する人はいない。道具に罪はなく、使う人次第だからだ。日の丸の赤は血の色で、白地は骨の色と教えるこの国の教師たちは、真実に敢えて目を瞑り嘘をつく。国も歴史の是非を正そうとはせず、積極的な広報活動もしない。だから、ほとんどの日本人は多くの事実を知らずに育つ。
しかし、右手がした善なる行いを左手にさえ知らせまいとする日本の、国家と国民に通低する小川の様に清らかで奥床しい道徳的品格を、ぼくは一方で「いと惜し」くさえ思う。日本人は自分の手柄を誇示し「ドヤ顔」する人を卑しむ。また、混んだ電車内で足を踏まれた人が反射的に「すみません」と謝る、そんな所がある。
日本は韓国に次いで自殺率が高い国だが、他殺率は世界一低い。これは、不満を他人に向けず、自らを責める国民性に起因する。ちなみに韓国は他殺率がアジア一高い。
上の自罰的傾向は、神代からのものらしく、古事記を読めばそれが良く判る。乱暴者のスサノヲの非道行為に対して姉のアマテラスは、「あれ程怒るのだから、何か理由があるのかも知れない」と自分が天の岩屋に引きこもる。そのピンチを女神アメノウズメの裸踊りと男神タジカラヲなどの協力で脱し、この世界の闇に光が再び蘇る。
サッカーや野球などスポーツを見るまでもなく、日本のお家芸は、個人ではなく、チームプレーにあり、それは古事記の時代以前から脈々と受け継がれてきたDNAであると言う事が出来る。
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日本語が美しいのは、日本人が美しい民族だからです。以下、極力簡潔に書きます。
南太平洋に浮かぶ島嶼国パラオは、第一次世界大戦後、国連の承認によって任された日本の信託統治領だった。
太平洋戦争が勃発し、戦局が日本に不利になった頃、パラオの島の一つペリリュー島に、米軍の襲来に備えて日本軍は陣地を構築した。その際、パラオ本島から、軍事徴用(強制連行ではない)でパラオ人が働きに来た。
熱帯の炎天下、汗水流して軍民共に働き、休憩時にはパラオの人達に日本兵が教えた歌を一緒に歌い、輪になって食事をするうちに連帯感が芽生えていた。
仕事が終わり、翌日には本島に帰るパラオの人達のために、細やかなお別れ会が開かれた。宴もたけなわ、パラオのリーダー格の1人が、おもむろに「我々もあなた方と一緒に米軍と闘わせて欲しい」と司令官に申し出た。すると、それまで上機嫌だった司令官の表情が、鬼の様な形相へと豹変し、「貴様は我が帝国陸軍を愚弄するつもりか!何で俺たちが、お前ら土人と共に戦わなければならないんだ?」と烈火の如く怒鳴りつけた。場の空気が凍り付き、宴会はお開きになった。パラオ人達は、「やっぱり、日本人も欧米人と同じで、内心では俺たちを見下していたんだ」と深く落胆した。
翌日、パラオ人たちを乗せた船がペリリュー島の岸辺を離れた。すると、砂浜に蟻の様に日本兵たちが群がり出てきた。その真ん中であの司令官が、白い歯を見せつつ何か叫びながら、千切れんばかりに手を振っていた。
「あの人達は、我々を巻き込みたくなかったんだ」とパラオの人達は、その時やっと気付いた。その後、米軍の陸海空、圧倒的な兵力によって日本軍の守備隊は壊滅、あの司令官以下ほぼ全員が玉砕した。
それから約半世紀余り。
既に独立国となっていたパラオ共和国で、島と島に橋を架ける事になり、競争入札で韓国企業が落札し、建設は完了した。しかし、その橋は間もなく崩落した。建設基準を満たせない程の廉価な落札価格のせいか、手抜き工事のせいかは不明だが、その韓国企業は、韓国国内でも過去に同じ様な橋梁の崩落事故を起こしていて、結局は倒産した。
しかし、その橋の代わりをODAの無償援助で建て直した国がある。その橋の袂のプレートには、こう記されているらしい。
「パラオと日本の友情の架け橋」