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矢井 結緒の部屋


[80] 脳内朝まで生会議
詩人:矢井 結緒 [投票][編集]


尊厳死が
本人の苦痛排除と
親族の負担軽減の為なら
自死も倫理的に
許容されるのだろうか

これ以上
生き長らえたとしても
個としての尊厳が
保てないと言う
自死願望に対して
異議を唱える場合
三時制の尊厳を
保障する義務が発生する

保障困難にも拘らず
ただ異議を唱えるのは
無責任だとも言えるから
少なくとも
自死回避のために
本人を納得させ得るだけの
抗弁不能な大義名分が
必要とされるが
命の尊厳や遺族の悲嘆など
崇高な理念に走り過ぎたり
情緒に流れ過ぎたりと
理解は出来ても撤回させる
ほどの説得力を持つ理屈を
寡聞にして知らない


尊厳と言うからには
親族のではなく
本人のそれを
前提にしているのは
明白である

親族の負担軽減は
二次的な理由であり
本人の意志に反して
異議を唱えるのは
事後の心身的及び
経済的負担の回避と言う
利己的な理由に帰する事に
なる

そもそも
自死自体が
遺される者たちの
深い悲嘆を顧みない
利己的な行為だ
とも言えるが
心神耗弱か
それに近い状態にある
本人に対して
他者への配慮を
望む事自体に無理があり
寧ろ逆にそれすら本人を
追い込む要素になり得る

理性的判断を
望めない状況下に
本人が
置かれているからこそ
自死が肯定されない
と言うならば
異議を唱える者は
本人の尊厳を
完全に保障出来るか
と言う問題に立ち戻る事に
なる

人は
自分自身の誕生に関して
決定権を持っていない
だから
その最期についても
選択する権利を有しないと
考えるべきなのか
逆に自死は
正当なる自決権として
認知されるべきなのか

「人を殺す事が
なぜいけないのか」

普通の高校生の疑問に
並み居る文化人たちは
明確な答えを用意して
いなかった

それ程遠くない将来
自死についても
肯定的な主張が
市民権を得る時が
やって来るだろう
我々日本人は
体面を重んじる精神性を
脈々と受け継いでいる
「切腹」は尊厳死の一つと
言えるから


ドストエフスキーが
生きていたら
やはり最後は
宗教の中に光を
求めるのだろうか?

2009/07/29 (Wed)

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