詩人:松尾 優月 | [投票][編集] |
航海の繋ぎ合わせ。
不定調で繰り返す音が
心音と知りました。
ひろがる、
海のセイタカアワダチソウが、隠す向こうに、
香炉。あるいは、燈籠の火。
それは、暗闇が、広がりきると、
ところどころに見えはじめたのです。
あんなところにも、ひとつ。
また、みつけた。
記憶の断片。
プンタアレナス、最南端の港。空は低くあり、静けさは、積もる雪が、降ることもわからないでいる時のようで、その街の中心には、マジェランの像が冷たくあり、語りはしない。木々は、さわ、と揺れるばかりで、あの時は何も伝えてはこなかった。見えている教会に、生きてはいるから、と、呟いて。生きたまま、こんなにも遠くに来ました。と、流氷のたどり着く港。その先の海峡は狭く。この先を平和の海。と伝えられた。
イースター島には海イグアナとペンギン。同じ方角を無口なまま見つめる像。この裏がわには、酷い崖があり、海鳥が鳥取りに出合うことなく羽ばたき生活をしている自然体。それをみた、あたしには、こわかったのです。
南十字は、冷たいのだけれど。
タヒチの教会に立ち寄り、微笑みかけられ、言葉すら知らないのだけれど、肩を叩かれた瞬間涙が溢れ出すという、慈愛に触れてしまいました。
米軍基地を過ぎ、マジェランの食糧欲しさの大量虐殺の面影を見せないグアム島。を後にする。
いのちとは。
出港からの厚い透明硝子の境界ごしにゆっくりと過ぎ去るそれぞれは浮遊していました。
あぁ、薄く白むものは私たちに触れることなく融解してしまいます。
結晶の持ち合わせる鋭ささえ、
見せないからレンズとなり見つめた先を揺らしていました。
航海は、やはり、
銀河鉄道からの車窓の風景のようで。
だから、それらはまるっきり、この世から 見ているのではないかのようで。
海に沈んだ、船。の、
姉弟がいま、
隣り合わせて眠っていて、
もう、そおっと、
もう、そうっと、
見守りたくて。見守りたくて。
その気持ちがそのままで。
記憶の繋ぎ合わせは、
不定調で繰り返す音が
幻聴のように変わるのです。