詩人:千波 一也
昆布の匂いがする、と
おんなの言うままに
おとこはそっと確かめてみる
漁師町で育ったおんなは
季節ごとの海の匂いを
知っている
おとこは
ただなんとなく海がすき、という
その
曖昧さに恥じらいながら
闇の深い方へと顔を向ける
海の匂いを嗅ぐために
おんなに隠れて
笑むために
わずかな汗と吐息と潮風
タバコとガムと微かな香水
狭い車内はいつにも増して狭く
開け放った窓からは
遠く
霧笛が聞こえ来る
どの舟のために
あの霧笛は鳴っていたのだろう
BGMは覚えていない
触れあう唇の柔らかな音と
つかのま離れるその音の
連続と
指先と首筋と背骨の手触りと
鈍い光を放っていた缶コーヒーの
おぼろな形と銘柄と
そういうものを覚えている
果てしない世界の片隅で
ふたりはおなじ
海だった
湿度の高い眠りのよるに
海の匂いがよみがえる
寄せては返す波たちの
在るべき場所の
海の匂いがよみがえる