いくら綺麗なものがあっても、それを見るひと、感じる心がなければそれは無いものと同じだと思います。綺麗なものを見る「私」感じる「私の心」があってこそ綺麗なもの綺麗なものでいられるのではないかなとおもいました。乱文失礼しました。