とっても素敵です!
自己防衛本能っていうものを誰しも持っていて、皆それぞれ形や度合いが異なっていて…生命を守るため、心身が壊れてしまうかも知れないと本能的に察知した(または冷静に考察して…でしょうか)結果が人それぞれの防衛の形であり結果であり…他人から見たら"逃げ"と見なされてしまうことも否めないことなのでしょうね(その人の悲しみの全貌を知ることはできないのに裁くということは、本当は誰にもできないはずなのに)。私は"苦しみ"から逃げ道も見つけないうちに耐えきれず逃亡を図っていたために、たちまちの内に袋小路にぶつかって追い付かれるということを幾度が繰り返した20代でした(私事をすみません)。だから、"逃げ道を走っている"というのは私の先の状態より、冷静で大人な見極め力があって逞しいとさえ感じてしまうのですが…間違ってますか…?(そういう側面も確かにあると思います)
防衛力発揮させるに至るまでのインターバル"度合い"を、トラウマみたいなものから少しずつ脱却できたら縮められるのでしょうかネ(私も当てはまりますが)…どこに書き込もうかと迷いましたがまた長くなってしまいましてm(__)m滝汗
自分を愛さなきゃ何も始まらないですもんね。自分の不完全さは自分が痛いほど知っているから、その部分を可愛いヤツめ…くらいに許せる余裕がないとなかなかというか、かなり難しい…ですねとか言ってられないですね。なぜか自分の周りに合わない人ばかりという不遇の時期(があったのでそう呼びます)が人生の中で必ずあるような…でも、理解し合える人がたったひとり現れただけで、ものすごい幸福感が得られる。辛い思いをしたからこその味わい…不遇の時期を早く抜け出すコツは、憎たらしい上司や先輩の中に無理矢理チャーミングな部分を見い出して、粘着質な部分には半ば内心憐れみに近い感情で接するということでしょうか…あと感謝(ここまでに昇華するのは大変。月日も要しますが汗)。言うは易しですけどね…長々とすみませんm(__)m
そうですね。ペンギンさんがよく唄われているように、泣きたくて泣くんじゃなくて「泣けてしまう」んですから。不毛な笑いでも、笑いは心身の健康には不可欠らしいので、トンチンカンな理由でも笑えるなら笑わなければ(人の失敗を…とかニヒルな笑いは当てはまらないけれど)。泣くことで得るものといったら…強さとかいうより、人の痛みがわかるようになる、ということでしょうか…
理由は…忘れさせられてしまうけど最初からあるような…気がします。人は自分の一部のように思われるモノを失っても、自分の手を繋いでさえいれば生きて行けるのかな…生きていくんだと思わせてくれる詩です
同じビジョンが見えます。
心の支えになってくれるような詩。