詩人:タコス | [投票][編集] |
冬の夜はスカンジナビアの万華鏡のように、銀河は青く流れる。
僕は少し(なんとなく)子供じみて、この聖体を「アマネスク、アマネスク」とくり返している。雲は月光に透かされ結晶を七変化させる。
あっちで山も騒いでいる。
なにかが降りてくる。
なにか連れて行かれるのかも知れない.ooo
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明日を求めるごとに
光、驚きを放っている。(桜撒[ま]かしている)
ハゲ、髷[まげ]を結っている。頭を弾[はじ]くために。かたま、なんと犇[ひし]めいてい る。
生めいている世界。光を留めている。
未来観とキラリズムの探究
パートン、万大人(ばんだいじん)古びていく→古大人(ハイタン)
※たくらが日中 さえぎ廻り
たくらが日中 木霊いしめきあう
調和のとれた一時 意識のナイーブな広がりを感じる (物思いに耽る)
空の暗がり へすっ跳ばしていく (綺羅めきが消し飛んでいく)
A medeteaition in Thailand... A medeteaition in Thailand...
(※繰り返し)
幻覚は、例えば、人がトンボの交尾のように連なって飛んでいたとしても... それは驚きではありますが... 言わば、既にそんな世界にチャンネルが合ってしまっているので、それだけに光景が現実みを帯びているのだと思います。
幻覚だけが端的に見えるのではなく、幻覚的な状況に彼自身がいつの間にか含まれているというようなことだと思います。
幻覚剤などを使用した場合、おそらくそれはしばしば結晶化された、あるいは伝統的な模様や踊りのように、有機的な流れとして現れる傾向にあると思います。それらは人間にとって、ある種の普遍的なインパクトを持つのかも知れません。
たとえば氷の結晶や光の煌めく幻覚をみていたとしても、同時にそれは自分と同化しています。
幻覚に呑み込まれます。その幻覚をつくり出したのは、自分ではありません。自分はただ観ています。
しかし、