詩人:中村真生子 | [投票][編集] |
山道をうねうねと車で上がり
急な石段を歩いて登る。
拝殿のガラス戸を開けると
小さな鳥居があり
その向こうは山になっている。
この神社は
山そのものがご神体なのである。
古代の人は
神様は山の上に住んでいると
考えていたという。
そして死ぬと魂は
山の上の神のもとへ行くのだと。
一方、宍道湖には
南北にある
四つの山を結ぶ線上の湖底に
石の鳥居が沈んでいると伝えられている。
その昔
地上より高いところも低いところも
神の領域だったに違いない。
それは
きっと今も変わらない。
ただ私たちが忘れているだけで。
あるいは勘違いをしているだけで。
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梅の木を見上げれば
大粒の緑の実。
梅が実れば
梅雨も間近。
バラたちは
ドレスが濡れないうちにと
かしこで着飾り舞踏会。
風よ
今しばらく雨を連れ来るな。
どんなに田んぼのカエルが
雨乞いの歌を歌っても。
いまだ蕾の
スキャボロフェアーが
踊り終わるまで…。
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すくっと立って
手を回しながら
深い呼吸を繰り返す。
呼吸と体が
ひとつになって
満たされた時間が
流れていく。
何も持たない手に導かれ…。
ここに
こうしていることの
心地よい不思議。
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曇をまとった空が
フェイドアウトするように
光を失っていく。
道づれにするように
すべてのものの
光も奪っていく。
石につまづいた拍子に
すとんと違う世界に
落ちてしまいそうな
逢魔が時。
息をひそめて窓辺に佇む。
東の空には
涙で滲んだような月明かり。
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天を追放されたスサノオが降り立った
船通山に日南町側から登る。
途中に杖が用意されており
突きながら登ると
くくりつけられている木札が
カラカラと山に響み渡る。
カタクリの花は終わっていたが
青紅葉やミズナラ、ブナの若葉が
幾重にも重なって緑の天井を作っていた。
その緑の天井へ向かって
地の底から歩みを重ねる。
次第に頭上が明るくなり
ついに緑の天井の上に出る。
見渡せば
山々が幾重にも連なり
いつもと異なる風景の中で
石の小さな鳥居をくぐって
お社にお参りをする。
『古事記』では
スサノオはここから奥出雲へと向かう。
そして八岐大蛇の物語へと続いていく。
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神様は
山の上に住んでいる
と考えた古代の人たちは
正しかったと思う。
重力に逆らって
神の御許に向かう時
苦しみの中で
見えてくるのは
神からもらった
いのちのほどばしり。
汗となり、呼気となった…。
そして
頂に佇むと
その存在を垣間見せてくれる。
それぞれの中で
湧き上がる喜びとなって…。
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昨日まではなかったのに
今朝は蕾が生まれ
昨日までは蕾だったのに
今朝は花が開いている。
庭で、道端で、野で、山で…。
自然の営みの
なんと素晴らしいことか。
ありがたいことに
この心ときめく自然の
ステージ・チケットは
すべての人に配られている。
いつでもどこでも使え
使用期限のない
フリーパスという形で。
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水と、火と、風と
地の恵みと…。
キッチンは
大地の女神
ガイアの手のひら。
トントントン…
キュッキュッキュッ…
フツフツフツ…。
包丁や野菜やお湯が
女神の手のひらで
踊りながら
いのちの糧を紡ぎ出す。
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実家から自宅に向かう
午後5時前の国道9号。
431号が交差する信号で止まる。
左側に止まっていた車は
友人の車。
おそらく彼女も
生まれた町から
自宅へと帰る道のりだろう。
先に気づいた私が
手を振り
彼女も気づいて笑みになる。
信号が青になり
互いに手を振り
それぞれの岐路につく。
きっとそんな風に人は出会い
きっとそんな風に別れていくのだろう。