電話の向こうで哀華が「お母さん」と呼ぶ声を聞いた事がある。その声には信頼と慈愛に満ちた穏やかさがあった。母子でカラオケに行ったりもした。彼女は母親を愛していた。それは間違いないとぼくは確信している。
ジャニス・ジョップリン。そんな話もしたね。きみの低音から中音域には凄みがあって、高音はややハスキーボイスだった。その気怠さと言い、きみの好きなパンクよりR&Bの方が合っていたんじゃないかと思う。何時だったか、携帯の向こう側で、きみがいきなり歌い出したことがあった。ぼくは慌てて携帯をJBLのスピーカーに繋いで、ギターを手に取りきみの歌に合わせて弾いた。あれはエキサイティングで楽しい一時だったな。いつかそっちで巡り逢えたら、もう一回やりたいね。
「目からごめんなさいが溢れてしまいそうさ」。泣き笑いが得意技で、哀しみの中にユーモアが漂っていたね、いつも。「学校、どうしてやりたい?」って聞いたら、「校門の傍に抱えきれないくらいの花束置いて来てやる!」と泣きながらきみは答えた。急に可笑しくなって「それじゃ、仕返しにもなんないよ」とぼくが笑うと、きみも鼻をグズグスさせながら釣られて笑った。まるで昨日のことのように憶えてる。
胸に…薄荷のようにスッと沁み渡って…読み終えたときには曇り空が知らぬ間に消えていました。いまも厚さ1センチの『真っ青空』が胸に留まってくれてるような気がします…。哀華さん、素敵な青空を…ありがとうございます!!
ちょっと違うね。真剣に書いたのよ。それをお前が笑ったから、不愉快だけど釣られて笑ってしまったわ笑
それでも生きたいの。
すき。
すてき。