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善田 真琴の日記

2012年09月






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詩人名 : 善田 真琴
詩人ID : maczenda

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江戸回帰。
2012/09/08(Sat)

日本は食糧の自給率を100%に上げる努力をし、尖閣諸島や日本海、紀伊半島及び四国沖に手付かずで眠ったままの、イラクに匹敵すると云われる石油やメタンハイドレートの埋蔵資源を発掘すれば、「鎖国」をしても自給自足でやってゆける。何故、中世・古代並みの民度しか持たないアルヨ国やスミダ国を相手にする必要があるのか理解出来ない。市場が必要ならば、親日的なインドやインドネシア、ブラジルなどを相手にすればいい。永年に渡って莫大な経済援助をしても、恩を仇で返す国々を相手にする謂われなど1ミリもない。(ちなみに、インド・インドネシア・ブラジルを足した人口は、中韓の人口の合計に、ほぼ匹敵する)

日本のこの20年にも及ぶ経済不況の原因は、政治の無能・無策に尽きる。日銀がお札を大量に発行すれば、円高は円安に転化し、輸出企業に競争力がつき、企業の海外移転を防ぐ事で産業空洞化を回避出来、法人税歳入が増え、失業率は下がる。米国やアルヨ国は自国通貨を乱発してドル安や元安を維持し輸出強化している。円高なのは市場に円の流通量が少ないためだ。日本だけがお札を刷ってはいけないという理由はない。

しかし、日銀がお札を刷っても借りる人がいなければ意味がない。投資をしようにも、この不景気では一般企業は二の足を踏む。だから国が率先して公共投資をやって経済に浮上の切っ掛けと勢いと与えなければならない。民主党が再三やった、無駄を省くための事業仕分けなど、経済不況下では最もやってはいけない愚行だと断言出来る。

東北の被災地では行政職員が足りないという。津波が公務員だけを避けて通るわけもなく、たくさんの職員が犠牲になったし、未曾有の大災害で猫の手も借りたい状況が今も続いているはずだ。中央では公務員削減問題が取り沙汰されているが、公務員も生活者である以上、その職を失う不安や所得を削られれば、消費を控えようという心理が働き、デフレ圧力の要因になる。

東北の被災地では生活手段が失われた。ならば、現地で臨時職員を大量に雇えばいい。それは税金を投入する事になるが、決して無駄にはならない。一時的にしろ、一定の収入が得られれば、それは生活消費に回るから、支出した税金は市場に流れたあと再び税金として国庫に返って来るからだ。数年臨時職員として働きながら、被災者は本来就きたい仕事を探せばいい。

デフレ不況下で「コンクリートから人へ」などと言って公共投資を悪玉扱いするのは、民主党が不勉強な輩の集合体だからだ。

不景気は定期的に訪れる。3年あまりのサイクルでやってくる在庫不況と呼ばれる「キチン循環」、10年ごとの設備投資不況の「ジュグラー循環」、20年ごとの建築不況「クズネッツ循環」、そして1サイクル50年の技術革新の際に起こる「コンドラチェフ循環」。

四捨五入して言えば、現在は戦後の復興期から3回目の「クズネッツ循環期」と1960年代の高度経済成長期から半世紀経った「コンドラチェフ循環期」にあたる。

前回のコンドラチェフ循環の技術革新は、アポロ11号などで人類が初めて月面に降り立った宇宙技術がその一つだったと思う。それから約50年、新しい技術革新が何なのか、今のぼくには判らないが、国内の至る所の道路・設備・港湾・橋梁などが耐用年数を超えて老朽化しているのは確かだし、その上に来るべき大地震に備えて一般家屋や工場、学校・庁舎などの公共施設の耐震・免震化は焦眉の急だ。人を守るために「コンクリート」がいま必要なのだ。民主党に集う烏合の衆には、それが全く解っていない。

ならば、その財源は?という話になるが、国債発行で何の問題もない。

マスコミは「将来にそのツケを回すのは無責任」と書きたてるが、公共投資で作った港湾・道路・ダム・橋梁などのインフラは将来の人達も利用するわけだから、受益者負担は当然のことである。

あるいは、財政健全化しなければ日本はデフォルトに陥ると経済アナリストと称する人達が国民を脅す。
日本は一千兆円超の負債を抱えていると言われるが、その95%は国が国民から借りているお金であって、国民は債権者であっても債務者ではない。だから、保有する国債を日本国民(銀行や個人)が一斉に売り抜けをしなければ、国債の暴落もデフォルトも有り得ない。万一、国債が暴落し始めたら、日銀が買い上げれば済む話だ。

話を公共投資に戻すが、国が公共投資をすると言っても、日本では隣国のように国有企業がダムを作るわけではない。ダムひとつ作るのに、コンクリートや鉄筋・材木などの資材業や建設資材を運ぶ運送業、実際に建築に当たる建設業、それらを相手にする飲食店やコンビニ、ホテル・旅館などのサービス業など、それらに携わるのは一般の企業や人々であり、公共投資に費やした税金は結局は国民の懐に入り、それが消費されて、いずれ国庫に戻って来るのだ。公共投資で潤った企業は、新たな設備投資に着手し、雇用機会が増える結果、失業率が下がる。雇用が安定すれば、消費支出が増加し企業は利益が上がるから、さらなる設備投資や事業拡張に繋がりデフレは解消へと向かう。


スーパーに行くとあまりのデフレぶりにびっくりする。

豆腐一丁 35円
キャベツ一玉 98円
発泡酒500ml 125円

一般庶民にとって、短期的・近視眼的に見れば、物価が安いのは有り難い。けれども、これでは企業は儲けが少ないから、雇用情勢は何時までたっても好転せず、国民所得が増えない結果、将来への不安から消費支出も減少し、デフレ・スパイラルから日本は永久に脱却できない。その上、消費増税なんぞで追い討ちをかければ、自殺者は年間4万人に達するのではないかと、ぼくは危惧している。橋本政権の時に消費税を3%から5%に上げた翌年の1998年から我が国の自殺者は3万人の大台に乗り、そのまま高止まりしている。野田総理は不退転の決意で消費増税法案を成立させたが、自らの経済政策の誤りを橋本元総理のした様に、いずれ国民に謝罪する事になるかも知れない。しかし、失われた命は二度と取り戻す事は出来ない。

一部に、「GDPなんて増やさなくても今の日本は世界的に見ても充分豊かだから、このレベルを維持すればいいじゃないか」と言う人達もいるが、彼らは80年代後半に始まるバブル景気と90年代初頭のバブル崩壊を経験した世代だ。大量生産・大量消費に明け暮れ拝金主義に我を忘れて、贅沢・豪奢な夢が覚めた時には、依って立つべき精神的なバック・ボーンが自分たちには無い事に気付いた。それが宗教なのか、人生哲学なのか判らないが、金が人を幸せにする訳ではないという事だけは理解したのだろう。それが「GDPなんて…」という無責任な発言に繋がる。余談だが、オウム真理教に多くのインテリが入会したのは、バブル崩壊と共に価値観を見失って精神的支柱をオウムに求めた結果ではないか、とぼくは考えている。

国民総生産と国民総所得、国民総支出は額面で同じになる。GDPが現状のままでいいという事は、国民の賃金(国民総所得)が増えなくてもいいという事を意味し、実際にはこの20年間で日本の国民総所得は維持どころか逆に減っている。因みに記憶だけで書くので、正確ではないが、米国の経済規模は過去20年間で確か約3倍になり、一党独裁のアルヨ国は13倍になっている筈だ。繰り返すけれども、この日本の経済的惨状は、金融・財政政策の誤謬、つまり政治の無能・無策が主たる要因だと断言していい。

どうやら、衆議院選挙が近いらしい。今秋か来春か判らないが、民主党は勿論、躍進が囁かれる維新の会など論外である。橋下さんのカリスマ性と即断即決のスピード感は魅力的だが、維新の会の候補者は民主党以上に即席の素人集団になるはずだ。3年前と同じようにマスコミに騙され踊らされて「いっぺんやらせてみたら」的な安直な無責任さで政党や候補者を選ぶ事が、この国を滅びに導き、その報いを受けるのは我々自身である事を忘れてはいけない。誰がやっても、どの政党が政権をとっても同じという事は絶対にない。

善田 真琴

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