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・ 死人の献立 ・ きみへ ・ 自慢話 ・ 照レパシー ・ ぼくという女の子 ・ コイケエイコー ・ 民族DNA ・ 江戸回帰。 ・ いる、いる(笑) ・ It depends on killing time. 過去ログ
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オリンピック・スルー・ザ・ナイト
2012/08/12(Sun) なでしこJP 銀メダル、おめでとう。 でも、表彰式でのハシャギっぷりには多少の違和感を禁じ得なかった。メダルを首に掛けて貰うやいなや、急速に横移動してゆくテレビカメラに向けて慌てたように上体を「く」の字に曲げてピースサインをする光景は決して美しくなかった。メダル授与者に対して非礼だし、国歌も流れる厳粛なセレモニーの空気を読むべきではなかったかと残念な思いを抱いた。ぼくは寧ろ両脇の米国&カナダのお姉さんたちの方に堂々とした落ち着きがあり、本来の大和撫子のような品位・品格を感じた。 話がやや迂回するが、国技の相撲は勿論、剣道や柔道もガッツポーズをやってはいけない。理由は相撲の場合は、本来が神事&政事だから。柔・剣道については、元々「殺し合い」だからであり、日本には古来から敗者や弱者の心情を慮り、その尊厳を重んじる「惻隠の情」というものがある。隣国には「水に落ちた犬は叩け」という諺があるそうだが、弱り切った相手を前に勝ち誇った態度など日本の文化・伝統に照らせば有り得ない。 空手を換骨奪胎してスポーツ化したテコンドーが五輪種目になり、空手がそうではない事を、ぼくは寧ろ慶事だと思っている。スポーツ化した五輪柔道にも本来の格闘技たる醍醐味と魅力を感じなくなった。華道・茶道・書道など凡そ「道」と名の付くもの全てに於いて精神性が肝となる。 欧米流に勝者としての喜びを素直に表現するのも悪くはない。しかし、どんな勝負事にも、勝者がいれば、必ず敗者も存在する。そこに1毛も疾しさを覚えない感受性には深みも厚みもない。勝者は謙虚でなければならない。命懸けで闘った人ほど、相手を思い遣る心を忘れない。一歩間違えれば、自分が敗者になっていたかも知れない事を知っているからだ。 閑話休題 (それはさておき) またバイ菌が沸いてきた模様。単細胞で学習能力がないから、みたび自ら同じ墓穴を掘るのだろう。しばし泳がせてみよう。アメーバ・スルーがベスト。オリンピック・スルー・ザ・ナイトに掛けてみた(笑)。みんなも、やっと連日の寝不足から解放されるね。 善田 真琴
マヨマヨ詐欺
2012/08/13(Mon) 拙者、かなりのマヨラー(既に死語?)。チヂミ、天ぷらもマヨネーズでOK。直ぐに無くなるから、少なくなると慌てて買い足す。 ところで、チューブものは、最後まで使い切るのが難しい。しかし、マヨネーズやケチャップは工夫次第でキレイに使い切る事が出来る。 要点は2つ。 @使用後は空気を入れながら容器の形を買った時と同じように整える。 A保管する時は上下逆さにする。 以上で、キレイに使い切る事が出来ます。騙されたと思って一度騙されてみて下さい。騙されても損はしませんから。 閑話休題 (さはさりながら) ここの住人たちのメンタリティが理解不能。 国政や地方選挙の時、意に染まない政策を掲げる候補者にみんな投票するのだろうか。選挙と作品への投票は必ずしも同列には語れないが、建設的な批判なら感想掲示板があるのに、と思うのはぼくだけ?可笑しな人の数の多さに、自分の感覚の方が可笑しいのでは?と倒錯した気分になる。ま、気分は雲さながらで、一時的なものだけれども。 善田 真琴
馬鹿と言う人が馬鹿
2012/08/14(Tue) カーラジオで何気なく国会中継を聞いていた。自民党の代議士が代表質問をしていた。相手は時の首相、鳩山さん。質問者は、特徴のある鼻にかかったダミ声で、母親からの政治献金について追及していた。鳩山さんは月々1200万円も貰っていながら、その事実を知らなかったとトボけた挙げ句、それは献金ではなく贈与だったと抗弁していた。鳩山さんは、自分の嘘を本気だと信じ切って嘘をつく、悪意のない詐欺師だから、ぼくは呆れはしたが特別驚きもしなかった。 ところが、質問者がいきなり「鳩山くん」と一国の首相に対して君呼ばわりを連発し始めたのには、天地が引っ繰り返るくらい度肝を抜かれた。一介の平議員が、一回り近くは年長の相手、しかも仮にも一国の総理大臣を捉まえて「鳩山くん」は有り得ない。民主党席から「失礼だろ!」と野次が飛び交ったが、議長も注意しなかった。それもその筈、議長自身が発言を促す際に「総理大臣鳩山由紀夫君」と指名するのが国会の通例だから。 国会というのは不思議な場所だ。一般の国民にとって国会は学生に例えるならば、謂わば教室みたいなもので、審議中の居眠りや携帯使用は厳禁の筈だが、居眠り首相やツイッター総務大臣は、さほどマスコミから叩かれることはなかった。 また、国会では議論が紛糾する度に、議員たちが議長席に詰め寄る。授業中に生徒たちが教壇の教師を取り囲んだら最早、学級崩壊である。野次は「国会の花」と言われるが、言論の府で発言者の声が聞こえないほど騒ぎ立て、発言を中断させる行為が「花」だろうか。 余談だが、ぼくは高2の時、一番前の席で机にうつ伏せで寝ていたら、先生に「眠るなら家に帰れ」と言われて、「それでは、お先に失礼します」と帰った事がある。 年功序列・終身雇用は日本の伝統文化とかつては言えたが、小泉政権時代に完全に破壊された。年少者が年長者を敬わなくなり、会社員は愛社精神を喪失した。会社は従業員の物ではなく、株主の物になったのだから当然の成り行きだ。 件の自民党の質問者は、東大出身の弁護士資格を有する人だと後に知った。最低限の礼儀も弁えない人間が国会議員。この国、一体何処に向かっているんだろうと憂鬱な気分に襲われた。 さて、実はこれからが本題。「馬鹿」という罵倒言葉について少し考えてみたい。 古典的な罵倒言葉に「お前の母さん出ベソ」というのがかつてあったが、その際、母親が実際に出ベソか否かの証明は不要である。罵倒言葉はそもそもが、相手を不快にさせるのが唯一の目的だから、理由説明を必要とせず相手を選ばない。つまり誰でもその対象になり得る。 罵倒言葉には論拠や整合性は不要だから、思考停止に陥るのは必然と言っていい。人間は考える事を止めたら、いずれは馬鹿になる。従って「馬鹿と言う人が馬鹿」という結論に達するのだ。 逆に、「わたし馬鹿だから」と自己卑下する人がたまにいるが、その人はいずれ馬鹿になるだろうとぼくは思う。なぜなら、その人はその度ごとに「馬鹿だ、馬鹿だ」と自分に自己暗示をかけているのも同然だから。 ぼくは仕事を始める前に鏡の前で笑顔を作る。そうすると心なしか元気になれる気がする。気持ちは表情に後追いで付いて来る。そんな現象を、心理学の世界では「フェイシャル・フィードバック」と言うらしい。人間は笑えば前向きになり、哀しげな表情をしていると気持ちが次第に沈んでくる。 他人を馬鹿という一言で決め付ける人は、自分自身が思考停止状態に陥っている事をこの際、肝に銘じた方がいい。 善田 真琴
敗戦記念日
2012/08/15(Wed) 日本は「おども」の国。 周りを気にして「大人」のように振る舞いながら、実態は無防備な子供。世の中に悪い人はいないと信じている。 アルヨ国、スミダ国、ビッチ国は「こどな」の国。 子供のように手の届く範囲の物は何でも欲しがる。掴んだら最後、何があっても手放さない。人の物は自分の物、自分の物は自分の物。約束は相手を騙すための方便に過ぎないから、最初から1ミリも守る気がない。近々、三ヶ国でユスリ・タカリ同盟を結ぶ予定。 実は大東亜戦争は終わっていなかった。侵略されているのは、むしろ日本だったという事を、竹島不法上陸と「天皇土下座」発言で、スミダ国のリーダー「あきひろ」さんが、1億2666万人の国民を目醒めさせてくれた。カムサムニダ。 政府は、スミダ国が竹島問題の国際司法裁判所への共同提訴と慰安婦像撤去に応じなければ、5.5兆円もの通貨スワップ協定の破棄とウォン建て国債購入の中止と売却を先ずは通告するべきだ。 野田政権は、国際司法裁判所へ提訴すると一応は怒ったポーズを取っているが、紛争当事国双方の合意がなければ法廷の扉は開かれない。相手が再三拒否を表明している以上、所詮は民主党政権の自己保身のためのアリバイ作りに過ぎない。 慰安婦像がソウル市の所有地に無断・不法に建てられた物である事は相手の政府も認めている。「あきひろ」さんは、「適切に対処しなければ、第二第三の慰安婦像が立つ」と野田首相を恫喝した。市民の不法行為を黙認した挙げ句に、更に輪をかけて大統領が盗賊の首領よろしく他国の総理大臣を脅すなど、上から下まで彼の国は犯罪者集団の巣窟なのか。 そもそも慰安婦問題は市民団体による活動資金集めが目的の詐欺事件に過ぎないのに、一国のリーダーがそれを自分の実績作りに悪用するなど国家の品格にも関わる。いずれ歴史がそれを裁くことになるだろうが、歴代の大統領のように退任後、「あきひろ」さんが汚職容疑で投獄されたり、不審死という類の悲しい最期を迎えないことを望む。 閑話休題 (それはさておき) フィリピンにはバナナで作ったケチャップがあるらしい。着色料でトマトみたいに赤いが、トマト製のよりかなり安い。 日本というケチャップに憧れて、ケチャップのふりをするが、本当のケチャップにはなり切れないスミダ国のメタファのようで、その甘さが切ない。 善田 真琴
左様ならば。
2012/08/16(Thu) 藤村官房長官が「日韓通貨スワップ協定の見直し検討も」とちょっと仄めかしただけで、「日本は理性的な対応を」とスミダ国が周章狼狽しはじめた模様(笑) まるで親のスネを齧りながら、「この、クソババア!」と暴れる馬鹿息子のよう。 1997年のアジア通貨危機の際、日本政府が金融資産を引き揚げないと保証したから、それを「担保」としてIMFがスミダ国に資金援助を行い、あの国は辛うじてデフォルトせずに済んだ。その事実をスミダ国のマスコミは自国民に伝えないどころか、逆に「日本は韓国を見殺しにした」と嘘を書く。日本のマスコミも大同小異だが、大きな相違点は、スミダ国が「悪い事はすべて相手のせい」と他罰的なのに対して、日本の場合は「すべて自分が悪い」と自罰的になる事で、ベクトルの向きが真逆である。これは民族性の違いでもある。両国は、自殺率では世界でも一、二を争うが、他殺率では日本は世界最低で、最も安全な国と言えるが、他方、スミダ国はアジアでワースト・ワン、つまりアジアで一番殺人事件の発生比率が高い。これは国民性として他罰的な傾向があるからだと考えていい。 閑話休題。 明日以降、時間が取れなくなる。生きていたらば、また遇いませう。 然らば御免。 善田 真琴
It depends on killing time.
2012/08/31(Fri) 本来、人間に最低限不可欠なもの、例えば衣食住に必要以上に拘泥するのは、精神性が低く卑しい証拠という抜きがたい妄念がぼくにはある。文学や音楽などの芸術は本来人間の生存に致命的な意味では寄与していない。つまり、人はそれらがなくても生きてはゆける。 しかし無駄こそが、人が生きてく意味に他ならない。なぜなら、みんな終わりを前提として生を始めることを運命付けられているし、人は皆、執行日を告げられない死刑囚と同じだから。 人が生きる意味は、如何に有意義に暇を潰すかにかかっている、と思ったり思わなかったり、かったりぃ。 善田 真琴
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