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善田 真琴の日記

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詩人名 : 善田 真琴
詩人ID : maczenda

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左様ならば。
2012/08/16(Thu)

藤村官房長官が「日韓通貨スワップ協定の見直し検討も」とちょっと仄めかしただけで、「日本は理性的な対応を」とスミダ国が周章狼狽しはじめた模様(笑)

まるで親のスネを齧りながら、「この、クソババア!」と暴れる馬鹿息子のよう。

1997年のアジア通貨危機の際、日本政府が金融資産を引き揚げないと保証したから、それを「担保」としてIMFがスミダ国に資金援助を行い、あの国は辛うじてデフォルトせずに済んだ。その事実をスミダ国のマスコミは自国民に伝えないどころか、逆に「日本は韓国を見殺しにした」と嘘を書く。日本のマスコミも大同小異だが、大きな相違点は、スミダ国が「悪い事はすべて相手のせい」と他罰的なのに対して、日本の場合は「すべて自分が悪い」と自罰的になる事で、ベクトルの向きが真逆である。これは民族性の違いでもある。両国は、自殺率では世界でも一、二を争うが、他殺率では日本は世界最低で、最も安全な国と言えるが、他方、スミダ国はアジアでワースト・ワン、つまりアジアで一番殺人事件の発生比率が高い。これは国民性として他罰的な傾向があるからだと考えていい。


閑話休題。

明日以降、時間が取れなくなる。生きていたらば、また遇いませう。

然らば御免。

善田 真琴

敗戦記念日
2012/08/15(Wed)

日本は「おども」の国。
周りを気にして「大人」のように振る舞いながら、実態は無防備な子供。世の中に悪い人はいないと信じている。

アルヨ国、スミダ国、ビッチ国は「こどな」の国。
子供のように手の届く範囲の物は何でも欲しがる。掴んだら最後、何があっても手放さない。人の物は自分の物、自分の物は自分の物。約束は相手を騙すための方便に過ぎないから、最初から1ミリも守る気がない。近々、三ヶ国でユスリ・タカリ同盟を結ぶ予定。


実は大東亜戦争は終わっていなかった。侵略されているのは、むしろ日本だったという事を、竹島不法上陸と「天皇土下座」発言で、スミダ国のリーダー「あきひろ」さんが、1億2666万人の国民を目醒めさせてくれた。カムサムニダ。

政府は、スミダ国が竹島問題の国際司法裁判所への共同提訴と慰安婦像撤去に応じなければ、5.5兆円もの通貨スワップ協定の破棄とウォン建て国債購入の中止と売却を先ずは通告するべきだ。

野田政権は、国際司法裁判所へ提訴すると一応は怒ったポーズを取っているが、紛争当事国双方の合意がなければ法廷の扉は開かれない。相手が再三拒否を表明している以上、所詮は民主党政権の自己保身のためのアリバイ作りに過ぎない。

慰安婦像がソウル市の所有地に無断・不法に建てられた物である事は相手の政府も認めている。「あきひろ」さんは、「適切に対処しなければ、第二第三の慰安婦像が立つ」と野田首相を恫喝した。市民の不法行為を黙認した挙げ句に、更に輪をかけて大統領が盗賊の首領よろしく他国の総理大臣を脅すなど、上から下まで彼の国は犯罪者集団の巣窟なのか。

そもそも慰安婦問題は市民団体による活動資金集めが目的の詐欺事件に過ぎないのに、一国のリーダーがそれを自分の実績作りに悪用するなど国家の品格にも関わる。いずれ歴史がそれを裁くことになるだろうが、歴代の大統領のように退任後、「あきひろ」さんが汚職容疑で投獄されたり、不審死という類の悲しい最期を迎えないことを望む。



閑話休題
(それはさておき)

フィリピンにはバナナで作ったケチャップがあるらしい。着色料でトマトみたいに赤いが、トマト製のよりかなり安い。

日本というケチャップに憧れて、ケチャップのふりをするが、本当のケチャップにはなり切れないスミダ国のメタファのようで、その甘さが切ない。

善田 真琴

馬鹿と言う人が馬鹿
2012/08/14(Tue)


カーラジオで何気なく国会中継を聞いていた。自民党の代議士が代表質問をしていた。相手は時の首相、鳩山さん。質問者は、特徴のある鼻にかかったダミ声で、母親からの政治献金について追及していた。鳩山さんは月々1200万円も貰っていながら、その事実を知らなかったとトボけた挙げ句、それは献金ではなく贈与だったと抗弁していた。鳩山さんは、自分の嘘を本気だと信じ切って嘘をつく、悪意のない詐欺師だから、ぼくは呆れはしたが特別驚きもしなかった。

ところが、質問者がいきなり「鳩山くん」と一国の首相に対して君呼ばわりを連発し始めたのには、天地が引っ繰り返るくらい度肝を抜かれた。一介の平議員が、一回り近くは年長の相手、しかも仮にも一国の総理大臣を捉まえて「鳩山くん」は有り得ない。民主党席から「失礼だろ!」と野次が飛び交ったが、議長も注意しなかった。それもその筈、議長自身が発言を促す際に「総理大臣鳩山由紀夫君」と指名するのが国会の通例だから。

国会というのは不思議な場所だ。一般の国民にとって国会は学生に例えるならば、謂わば教室みたいなもので、審議中の居眠りや携帯使用は厳禁の筈だが、居眠り首相やツイッター総務大臣は、さほどマスコミから叩かれることはなかった。
また、国会では議論が紛糾する度に、議員たちが議長席に詰め寄る。授業中に生徒たちが教壇の教師を取り囲んだら最早、学級崩壊である。野次は「国会の花」と言われるが、言論の府で発言者の声が聞こえないほど騒ぎ立て、発言を中断させる行為が「花」だろうか。

余談だが、ぼくは高2の時、一番前の席で机にうつ伏せで寝ていたら、先生に「眠るなら家に帰れ」と言われて、「それでは、お先に失礼します」と帰った事がある。

年功序列・終身雇用は日本の伝統文化とかつては言えたが、小泉政権時代に完全に破壊された。年少者が年長者を敬わなくなり、会社員は愛社精神を喪失した。会社は従業員の物ではなく、株主の物になったのだから当然の成り行きだ。

件の自民党の質問者は、東大出身の弁護士資格を有する人だと後に知った。最低限の礼儀も弁えない人間が国会議員。この国、一体何処に向かっているんだろうと憂鬱な気分に襲われた。

さて、実はこれからが本題。「馬鹿」という罵倒言葉について少し考えてみたい。

古典的な罵倒言葉に「お前の母さん出ベソ」というのがかつてあったが、その際、母親が実際に出ベソか否かの証明は不要である。罵倒言葉はそもそもが、相手を不快にさせるのが唯一の目的だから、理由説明を必要とせず相手を選ばない。つまり誰でもその対象になり得る。

罵倒言葉には論拠や整合性は不要だから、思考停止に陥るのは必然と言っていい。人間は考える事を止めたら、いずれは馬鹿になる。従って「馬鹿と言う人が馬鹿」という結論に達するのだ。

逆に、「わたし馬鹿だから」と自己卑下する人がたまにいるが、その人はいずれ馬鹿になるだろうとぼくは思う。なぜなら、その人はその度ごとに「馬鹿だ、馬鹿だ」と自分に自己暗示をかけているのも同然だから。

ぼくは仕事を始める前に鏡の前で笑顔を作る。そうすると心なしか元気になれる気がする。気持ちは表情に後追いで付いて来る。そんな現象を、心理学の世界では「フェイシャル・フィードバック」と言うらしい。人間は笑えば前向きになり、哀しげな表情をしていると気持ちが次第に沈んでくる。

他人を馬鹿という一言で決め付ける人は、自分自身が思考停止状態に陥っている事をこの際、肝に銘じた方がいい。

善田 真琴

マヨマヨ詐欺
2012/08/13(Mon)

拙者、かなりのマヨラー(既に死語?)。チヂミ、天ぷらもマヨネーズでOK。直ぐに無くなるから、少なくなると慌てて買い足す。

ところで、チューブものは、最後まで使い切るのが難しい。しかし、マヨネーズやケチャップは工夫次第でキレイに使い切る事が出来る。

要点は2つ。

@使用後は空気を入れながら容器の形を買った時と同じように整える。

A保管する時は上下逆さにする。

以上で、キレイに使い切る事が出来ます。騙されたと思って一度騙されてみて下さい。騙されても損はしませんから。


閑話休題
(さはさりながら)

ここの住人たちのメンタリティが理解不能。
国政や地方選挙の時、意に染まない政策を掲げる候補者にみんな投票するのだろうか。選挙と作品への投票は必ずしも同列には語れないが、建設的な批判なら感想掲示板があるのに、と思うのはぼくだけ?可笑しな人の数の多さに、自分の感覚の方が可笑しいのでは?と倒錯した気分になる。ま、気分は雲さながらで、一時的なものだけれども。

善田 真琴

オリンピック・スルー・ザ・ナイト
2012/08/12(Sun)

なでしこJP
銀メダル、おめでとう。

でも、表彰式でのハシャギっぷりには多少の違和感を禁じ得なかった。メダルを首に掛けて貰うやいなや、急速に横移動してゆくテレビカメラに向けて慌てたように上体を「く」の字に曲げてピースサインをする光景は決して美しくなかった。メダル授与者に対して非礼だし、国歌も流れる厳粛なセレモニーの空気を読むべきではなかったかと残念な思いを抱いた。ぼくは寧ろ両脇の米国&カナダのお姉さんたちの方に堂々とした落ち着きがあり、本来の大和撫子のような品位・品格を感じた。

話がやや迂回するが、国技の相撲は勿論、剣道や柔道もガッツポーズをやってはいけない。理由は相撲の場合は、本来が神事&政事だから。柔・剣道については、元々「殺し合い」だからであり、日本には古来から敗者や弱者の心情を慮り、その尊厳を重んじる「惻隠の情」というものがある。隣国には「水に落ちた犬は叩け」という諺があるそうだが、弱り切った相手を前に勝ち誇った態度など日本の文化・伝統に照らせば有り得ない。

空手を換骨奪胎してスポーツ化したテコンドーが五輪種目になり、空手がそうではない事を、ぼくは寧ろ慶事だと思っている。スポーツ化した五輪柔道にも本来の格闘技たる醍醐味と魅力を感じなくなった。華道・茶道・書道など凡そ「道」と名の付くもの全てに於いて精神性が肝となる。

欧米流に勝者としての喜びを素直に表現するのも悪くはない。しかし、どんな勝負事にも、勝者がいれば、必ず敗者も存在する。そこに1毛も疾しさを覚えない感受性には深みも厚みもない。勝者は謙虚でなければならない。命懸けで闘った人ほど、相手を思い遣る心を忘れない。一歩間違えれば、自分が敗者になっていたかも知れない事を知っているからだ。


閑話休題
(それはさておき)

またバイ菌が沸いてきた模様。単細胞で学習能力がないから、みたび自ら同じ墓穴を掘るのだろう。しばし泳がせてみよう。アメーバ・スルーがベスト。オリンピック・スルー・ザ・ナイトに掛けてみた(笑)。みんなも、やっと連日の寝不足から解放されるね。

善田 真琴

神的孤独
2012/05/23(Wed)

すべて見えているが、手出し出来ないルールの中、喜怒哀楽・悲喜こもごもを自足的かつ排他的に一身に引き受けた孤独。「預言者は故郷に受け入れられない」

旅人たちよ
戻っておいで。
哀しみ苦しみだけではなく
喜び楽しみも
充分にあった筈。
利益も負債もすべてが
これからの糧になる。
結果は行程の答えではなく
積算に過ぎない。
まだ道は半ば。
判った時には
また歩き出す背中を
見守るだけの瞳がある。

善田 真琴

新天地
2012/04/22(Sun)

短歌専用サイトに軸足を移しつつある。あちらは短歌専用だけあってレベルが高い。古風な和歌から現代短歌まで幅広く、三十一文字の制約が基本であっても飽きることはない。

1日に投稿出来るのは5首までだが、作品へのコメントが書けないシステムなので、自分の作品のどこが評価されたのか全然判らない。コメント無しの評価という気楽さゆえか、1日に20ポイントの評価が付いたりする。だから、詩人の部屋以上に互助会的風潮が強い。お気に入りの歌人を相互にリンク出来るので、株の持ち合いをする護送船団方式そのもの。

ぼくは今の所、誰の作品もポイント評価せず、誰とも相互リンクをしていないから、見返りが無いことを認識すれば、いずれぼくへの評価ポイントも入らなくなるだろう。それでも残る数少ない人たちだけを相手にしようと思っている。飽くまでも交流より作品本位を貫く所存。

あちらには日記や掲示板のシステムがないのと、短歌のみで歌物語が書けないのが難点だが、短歌や和歌に造詣が深そうな年配者も多くて自分の勉強にはなる。

そもそも、詩を書かない自分がここにいる事自体、場違いな気がしてきた今日この頃。


善田 真琴

脱力系
2012/04/16(Mon)

…あぁ、気持ちは判る

簡単に人の気持ちが
判るなんて言うなよ

判るよ
俺ら同じ
脊椎動物ぢゃねぇ〜か

どんだけ広い
サークル活動やねん!
サカナも
脊椎動物やで?

あ、そっか
目からウロコ落ちた

もエェわ


善田 真琴

チヂミ風焼き天麩羅
2012/04/08(Sun)

チヂミ・お好み焼き・天ぷら等をうちで結構作る。日曜日に小麦粉系料理を三食摂り、デザートに炊飯器で作った蒸しパンを食べたら、翌朝にお腹が固く張って、便意はあるのに出なくて困った事がある。

今日も先程、お昼にチヂミ風の焼き天麩羅を食べた。油が飛び散りキッチンが汚れるので、うちでは揚げ物はしない。揚げずにフライパンにやや多めにサラダ油を敷いて、タネを流し入れるとフタをして弱火で焼く。頃合いを見計らって裏返し、同じように焼く。

手間がかからないし、フタをするので、中まで火が通り易く、レンジ周りをほとんど汚さない。

本日の具材は、ゴーヤーと玉葱、長ネギ。調味料は、塩・胡椒・ガーリック・めんつゆだけ。食べる時は、ケチャップやマヨネーズをかける。冷めたら、レンジでチンするよりオーブンで焼いた方がカリカリして美味しい。

具はジャガイモ、ニンジン、ピーマン、南瓜など、薄切りにすれば何でもいけるから、冷蔵庫内の在庫整理にいい。

あ〜、お腹いっぱい。
ごちそうさまでした。

合掌。

善田 真琴

セックス・スレイブ
2012/04/05(Thu)

売春婦は、人類最古の職業だと言われている。フランスでは現在でも国が公認・管理し、課税対象とされており、労働組合まで存在する。「見える化」されたのは、地下に潜らせると、AIDS感染&蔓延の防止策が採れないからだと言う。

所謂「従軍慰安婦」とは要するに、軍人相手の売春婦の事である。朝鮮半島では、新聞の求人欄に普通に募集広告が掲載されていた。一般の職業より高給で、中には東條英機首相より高い年収の者もいたと言う。

従軍慰安婦の約4割が日本人だった。しかし、ぼくの知るかぎり公式にその事実を認めている人は、左翼系の市民団体に半ば無理やりに担ぎ出された一人だけである。二重の意味で、その人をお気の毒だと思う。

コリア系の人たちが、あれだけ執拗かつヒステリックに大声で騒ぐのとは対照的に、日本人の元慰安婦たちが沈黙を守る理由を、国民性の問題だけでは片付けられない。ぼくは、それが軍による強制ではなく、自由意志に基づくものであった事を本人自身が一番よく知っているからだと推測する。ぼくはそこに日本女性らしい正直さと大和撫子としての気概を感じ、寧ろ誇らしくさえ思う。

話が少し逸れるが、戦争末期に、満州(中国東北部)にソ連軍が進駐し、日本人学校の通化女子高等学校にロシア兵が乱入して来た。彼らが、女子生徒の腕を掴んで連れてゆこうとするのを、一人の女性教師が止めに入り、「自分が代わりに行くから」と言って、ロシア兵たちと教室を出ていった。その女性教師は暴行を受けたあと、深夜に解放されたが、その直後に自決した。その翌日、同じロシア兵が再び学校に現れ、「あの女先生を出せ」と要求した。「彼女は死んだ」と応えると、彼らは黙って去って行ったと言う。

その後、ソ連軍は通化の自治会リーダーたちに、女性を差し出せと正式に言ってきた。それも「素人」を要求した。それに対して、リーダー格の一人が「そんなことを強制したら、普通の日本女性は自決する」と説得して、それならば売春婦で構わない、という話になった。

自治会のリーダーたちが、遊廓の女性たちに相談すると、一旦は拒否されるが、1人の売春婦が「仕方がない。お国のためだと思って、1人1殺でロスケに病気を移してやる」と言うと、あとに続く者が何人もいた。

戦後、満州や朝鮮半島から日本に引き上げてきた女性の中には、堕胎手術を受ける人が少なからずいた。流した胎児には明らかに日本人ではない、金髪の子が目につくほど多かったと言う。

話を元に戻す。

「慰安所」は民間による経営で、性病対策のため、定期的な軍医の検診が義務付けられていた。それを軍が関与していた証拠だと主張する人たちがいるが、それは誤りである。性病が軍内に蔓延すれば、軍隊としての戦力が減退するから、それを防ぐための自衛的処置だったに過ぎない。

また、慰安所側と慰安婦応募者との労働契約書は軍当局に提出されることになっていた。自由意思に基づかないと認められるもの、例えば拉致や違法行為による「強制」は罰則の対象とされた。当時の朝鮮半島の新聞に、現地警察が違法な慰安所の一斉摘発に乗り出したという記事が見える。また、強制を戒める現地軍への軍令書も残されている。

つまり、軍は「強制」を取り締まる側であって、実際に軍が組織的に関与したとされる強制連行についての証言は一例も報告されていない。コリアの人々が主張する20万人の被害者など、もう荒唐無稽な話で、ただ呆れて笑うしかない。身内や家族の女性をそれだけ大量に拉致されても、暴動ひとつ起こさないほど、当時のコリアの人々は大人しく、自尊心の低い民族だったのだろうか。

昭和初期の日本でも、農作物の不作や飢饉の時、東北を中心とした農村の子女が吉原などの遊廓に身売りされた。青年将校たちが決起した2.26事件の一つの要因がそこにあったとも言われている。

朝鮮半島も貧しかった。
従軍慰安婦は、お金を稼ぐための本人の自由意志によるものか、親や親族による子女の「身売り」だったと考えるのが自然ではないかと思う。

もちろん、誘拐まがいの違法行為がまったくなかったとは言えないが、人集めは慰安所の仕事であり、基本的に軍は関与しない。

基本的にというのは、例外的な事例があったからだ。それは、インドネシアでの「白馬事件」というもので、陸軍士官学校を出たての若い将校が、「オランダ人の女を連れて来い」と命令し、慰安所の人間が35人の女性を連行したとされる事案で、そのうち20人が自由意志に基づかない者と戦後の裁判で認定された。被告の将校は日本に復員していたが、自分が提訴されているのを知ると「あれが強制だったと言われれば、そうだったかも知れない」という意味の遺書を残して自死したらしい。

しかし、この事例を挙げて、軍の命令や強制連行があったと主張する事は出来ない。これは、不届き者の一個人による単なる違法行為であり、軍が組織的に行ったとは言えない。例えば、小学校の先生が、生徒に対して性的いたずらをしたり、警察官が盗みを働く事件があった場合、その犯罪行為を学校や警察が組織的にやらせたと主張する人はいないし、逆に学校や警察もその不心得者を処分するだろう。

以上のように、非常に例外的な「事件」や「犯罪行為」としての強制連行はあったとしても、日本の軍隊が銃剣を突き付けて多くの子女をトラックに乗せて強制連行を行ったという事実は、全くなかったし、その証言すら一例もないと断言しておく。

なお余談だが、朝鮮戦争時代に韓国軍にも従軍慰安婦がいた事実について、コリア系の人たちが口にするのをぼくは見たことも聞いた事もない。

この所謂「従軍慰安婦」問題は、吉田清治という人の「私の戦争犯罪」という本がひとつの火点け役になった。本人自らが済洲島で強制連行を行ったと書いているが、既に秦郁彦氏によってすべて事実無根の嘘だった事が証明されている。本人も最終的には「市民団体に利用された」と秦氏に対して「自白」している。現地で秦氏と一緒に調査をした済洲島の新聞記者は「なぜそんな出鱈目な嘘を彼は書いたんだろう」と逆に秦氏に尋ねたそうである。

最後に、この問題は補償金目当ての元売春婦の老女たちと、活動資金と活動目的が欲しい市民団体の共謀による、詐欺事件と言っても過言ではない。現に韓国で、この問題を主導してきた元「慰安婦」が詐欺罪で起訴されている。

次は、いよいよ中国。
クライマックスは、所謂「南京大虐殺」事件だが、そろそろエネルギーが尽きてきた。最後まで走り通せるか余り自信がない。結論だけ先に言うと、河村名古屋市長は間違っている。「なかったのではないか」ではなく、そんなものははっきり「なかった」のである。

善田 真琴

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