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善田 真琴の日記

2012年08月



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詩人名 : 善田 真琴
詩人ID : maczenda

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馬鹿と言う人が馬鹿
2012/08/14(Tue)


カーラジオで何気なく国会中継を聞いていた。自民党の代議士が代表質問をしていた。相手は時の首相、鳩山さん。質問者は、特徴のある鼻にかかったダミ声で、母親からの政治献金について追及していた。鳩山さんは月々1200万円も貰っていながら、その事実を知らなかったとトボけた挙げ句、それは献金ではなく贈与だったと抗弁していた。鳩山さんは、自分の嘘を本気だと信じ切って嘘をつく、悪意のない詐欺師だから、ぼくは呆れはしたが特別驚きもしなかった。

ところが、質問者がいきなり「鳩山くん」と一国の首相に対して君呼ばわりを連発し始めたのには、天地が引っ繰り返るくらい度肝を抜かれた。一介の平議員が、一回り近くは年長の相手、しかも仮にも一国の総理大臣を捉まえて「鳩山くん」は有り得ない。民主党席から「失礼だろ!」と野次が飛び交ったが、議長も注意しなかった。それもその筈、議長自身が発言を促す際に「総理大臣鳩山由紀夫君」と指名するのが国会の通例だから。

国会というのは不思議な場所だ。一般の国民にとって国会は学生に例えるならば、謂わば教室みたいなもので、審議中の居眠りや携帯使用は厳禁の筈だが、居眠り首相やツイッター総務大臣は、さほどマスコミから叩かれることはなかった。
また、国会では議論が紛糾する度に、議員たちが議長席に詰め寄る。授業中に生徒たちが教壇の教師を取り囲んだら最早、学級崩壊である。野次は「国会の花」と言われるが、言論の府で発言者の声が聞こえないほど騒ぎ立て、発言を中断させる行為が「花」だろうか。

余談だが、ぼくは高2の時、一番前の席で机にうつ伏せで寝ていたら、先生に「眠るなら家に帰れ」と言われて、「それでは、お先に失礼します」と帰った事がある。

年功序列・終身雇用は日本の伝統文化とかつては言えたが、小泉政権時代に完全に破壊された。年少者が年長者を敬わなくなり、会社員は愛社精神を喪失した。会社は従業員の物ではなく、株主の物になったのだから当然の成り行きだ。

件の自民党の質問者は、東大出身の弁護士資格を有する人だと後に知った。最低限の礼儀も弁えない人間が国会議員。この国、一体何処に向かっているんだろうと憂鬱な気分に襲われた。

さて、実はこれからが本題。「馬鹿」という罵倒言葉について少し考えてみたい。

古典的な罵倒言葉に「お前の母さん出ベソ」というのがかつてあったが、その際、母親が実際に出ベソか否かの証明は不要である。罵倒言葉はそもそもが、相手を不快にさせるのが唯一の目的だから、理由説明を必要とせず相手を選ばない。つまり誰でもその対象になり得る。

罵倒言葉には論拠や整合性は不要だから、思考停止に陥るのは必然と言っていい。人間は考える事を止めたら、いずれは馬鹿になる。従って「馬鹿と言う人が馬鹿」という結論に達するのだ。

逆に、「わたし馬鹿だから」と自己卑下する人がたまにいるが、その人はいずれ馬鹿になるだろうとぼくは思う。なぜなら、その人はその度ごとに「馬鹿だ、馬鹿だ」と自分に自己暗示をかけているのも同然だから。

ぼくは仕事を始める前に鏡の前で笑顔を作る。そうすると心なしか元気になれる気がする。気持ちは表情に後追いで付いて来る。そんな現象を、心理学の世界では「フェイシャル・フィードバック」と言うらしい。人間は笑えば前向きになり、哀しげな表情をしていると気持ちが次第に沈んでくる。

他人を馬鹿という一言で決め付ける人は、自分自身が思考停止状態に陥っている事をこの際、肝に銘じた方がいい。

善田 真琴

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