ホーム > 詩人の部屋 > 善田 真琴の部屋 > 日記

善田 真琴の日記

2012年04月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30





<< 前の月次の月 >>

日指定

プロフィール
詩人名 : 善田 真琴
詩人ID : maczenda

ワード検索

最新ログ

過去ログ

セックス・スレイブ
2012/04/05(Thu)

売春婦は、人類最古の職業だと言われている。フランスでは現在でも国が公認・管理し、課税対象とされており、労働組合まで存在する。「見える化」されたのは、地下に潜らせると、AIDS感染&蔓延の防止策が採れないからだと言う。

所謂「従軍慰安婦」とは要するに、軍人相手の売春婦の事である。朝鮮半島では、新聞の求人欄に普通に募集広告が掲載されていた。一般の職業より高給で、中には東條英機首相より高い年収の者もいたと言う。

従軍慰安婦の約4割が日本人だった。しかし、ぼくの知るかぎり公式にその事実を認めている人は、左翼系の市民団体に半ば無理やりに担ぎ出された一人だけである。二重の意味で、その人をお気の毒だと思う。

コリア系の人たちが、あれだけ執拗かつヒステリックに大声で騒ぐのとは対照的に、日本人の元慰安婦たちが沈黙を守る理由を、国民性の問題だけでは片付けられない。ぼくは、それが軍による強制ではなく、自由意志に基づくものであった事を本人自身が一番よく知っているからだと推測する。ぼくはそこに日本女性らしい正直さと大和撫子としての気概を感じ、寧ろ誇らしくさえ思う。

話が少し逸れるが、戦争末期に、満州(中国東北部)にソ連軍が進駐し、日本人学校の通化女子高等学校にロシア兵が乱入して来た。彼らが、女子生徒の腕を掴んで連れてゆこうとするのを、一人の女性教師が止めに入り、「自分が代わりに行くから」と言って、ロシア兵たちと教室を出ていった。その女性教師は暴行を受けたあと、深夜に解放されたが、その直後に自決した。その翌日、同じロシア兵が再び学校に現れ、「あの女先生を出せ」と要求した。「彼女は死んだ」と応えると、彼らは黙って去って行ったと言う。

その後、ソ連軍は通化の自治会リーダーたちに、女性を差し出せと正式に言ってきた。それも「素人」を要求した。それに対して、リーダー格の一人が「そんなことを強制したら、普通の日本女性は自決する」と説得して、それならば売春婦で構わない、という話になった。

自治会のリーダーたちが、遊廓の女性たちに相談すると、一旦は拒否されるが、1人の売春婦が「仕方がない。お国のためだと思って、1人1殺でロスケに病気を移してやる」と言うと、あとに続く者が何人もいた。

戦後、満州や朝鮮半島から日本に引き上げてきた女性の中には、堕胎手術を受ける人が少なからずいた。流した胎児には明らかに日本人ではない、金髪の子が目につくほど多かったと言う。

話を元に戻す。

「慰安所」は民間による経営で、性病対策のため、定期的な軍医の検診が義務付けられていた。それを軍が関与していた証拠だと主張する人たちがいるが、それは誤りである。性病が軍内に蔓延すれば、軍隊としての戦力が減退するから、それを防ぐための自衛的処置だったに過ぎない。

また、慰安所側と慰安婦応募者との労働契約書は軍当局に提出されることになっていた。自由意思に基づかないと認められるもの、例えば拉致や違法行為による「強制」は罰則の対象とされた。当時の朝鮮半島の新聞に、現地警察が違法な慰安所の一斉摘発に乗り出したという記事が見える。また、強制を戒める現地軍への軍令書も残されている。

つまり、軍は「強制」を取り締まる側であって、実際に軍が組織的に関与したとされる強制連行についての証言は一例も報告されていない。コリアの人々が主張する20万人の被害者など、もう荒唐無稽な話で、ただ呆れて笑うしかない。身内や家族の女性をそれだけ大量に拉致されても、暴動ひとつ起こさないほど、当時のコリアの人々は大人しく、自尊心の低い民族だったのだろうか。

昭和初期の日本でも、農作物の不作や飢饉の時、東北を中心とした農村の子女が吉原などの遊廓に身売りされた。青年将校たちが決起した2.26事件の一つの要因がそこにあったとも言われている。

朝鮮半島も貧しかった。
従軍慰安婦は、お金を稼ぐための本人の自由意志によるものか、親や親族による子女の「身売り」だったと考えるのが自然ではないかと思う。

もちろん、誘拐まがいの違法行為がまったくなかったとは言えないが、人集めは慰安所の仕事であり、基本的に軍は関与しない。

基本的にというのは、例外的な事例があったからだ。それは、インドネシアでの「白馬事件」というもので、陸軍士官学校を出たての若い将校が、「オランダ人の女を連れて来い」と命令し、慰安所の人間が35人の女性を連行したとされる事案で、そのうち20人が自由意志に基づかない者と戦後の裁判で認定された。被告の将校は日本に復員していたが、自分が提訴されているのを知ると「あれが強制だったと言われれば、そうだったかも知れない」という意味の遺書を残して自死したらしい。

しかし、この事例を挙げて、軍の命令や強制連行があったと主張する事は出来ない。これは、不届き者の一個人による単なる違法行為であり、軍が組織的に行ったとは言えない。例えば、小学校の先生が、生徒に対して性的いたずらをしたり、警察官が盗みを働く事件があった場合、その犯罪行為を学校や警察が組織的にやらせたと主張する人はいないし、逆に学校や警察もその不心得者を処分するだろう。

以上のように、非常に例外的な「事件」や「犯罪行為」としての強制連行はあったとしても、日本の軍隊が銃剣を突き付けて多くの子女をトラックに乗せて強制連行を行ったという事実は、全くなかったし、その証言すら一例もないと断言しておく。

なお余談だが、朝鮮戦争時代に韓国軍にも従軍慰安婦がいた事実について、コリア系の人たちが口にするのをぼくは見たことも聞いた事もない。

この所謂「従軍慰安婦」問題は、吉田清治という人の「私の戦争犯罪」という本がひとつの火点け役になった。本人自らが済洲島で強制連行を行ったと書いているが、既に秦郁彦氏によってすべて事実無根の嘘だった事が証明されている。本人も最終的には「市民団体に利用された」と秦氏に対して「自白」している。現地で秦氏と一緒に調査をした済洲島の新聞記者は「なぜそんな出鱈目な嘘を彼は書いたんだろう」と逆に秦氏に尋ねたそうである。

最後に、この問題は補償金目当ての元売春婦の老女たちと、活動資金と活動目的が欲しい市民団体の共謀による、詐欺事件と言っても過言ではない。現に韓国で、この問題を主導してきた元「慰安婦」が詐欺罪で起訴されている。

次は、いよいよ中国。
クライマックスは、所謂「南京大虐殺」事件だが、そろそろエネルギーが尽きてきた。最後まで走り通せるか余り自信がない。結論だけ先に言うと、河村名古屋市長は間違っている。「なかったのではないか」ではなく、そんなものははっきり「なかった」のである。

善田 真琴

前日]   [善田 真琴の日記]   [翌日
- 詩人の部屋 -