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レモンの日記

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詩人名 : レモン
詩人ID : kirakiraboshi

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定業
2014/03/29(Sat)


きょうはきょうの微風(かぜ)が吹いて、
きょうはきょうの運命がながれて、
あしたはあしたのときが訪れて、
積もり積もった自分の世界が聳えて

季節の華々は綺麗に開いて、
蓮華も水面に輝き産まれて、
躑躅もやがて色あざやかに笑って、

僕たちの宇宙的生命の深淵にも、
歓喜のエネルギーが無限に開く





レモン

元品の法性
2014/03/28(Fri)



もう少しで、この世界から飛び発って
サクラの花ビラが
感覚の景色のなかで
キレイに美しく舞い散って

無上道な道すじの軌道へと連なって

大多数がかならずしも
ただしい訳でなく、
少数派の理論が、
のちの時代の常識と成る
必然的運命がある

刻の流れが変わった後に、
群れに紛れて
自分の意見をくつがえす


世間の眼差しが輝いた後に、
周りにまみれて
自身の言葉をひっくりかえす

桜の花びらが新風に運ばれて
僕たちの魂の傍に寄り添う




レモン

脱却
2014/03/25(Tue)


自分の意思を奪われたようで、
ときに何かから動かされているようで、
みぎを選んでもひだりを選んでも、
行き先は最初から決まっているように…

もの凄く大きな正体不明な存在から操られてるような、
ときに人権さえ損失したような
不可解な幻想(ユメ)に生かされているように…

目覚めても目覚めていない夢の続きを演じているような、
自分の事も他人の人間(ヒト)も
何処から現れて、何処へと向かうのか…

誰も告げてはくれない悲しみのような
ふかい霧に覆われた気色の果てが、
晴れ渡っていく様に…


君は、君の運命のとびらをまた開いて、
柔らかな淡い色をした雲の波間に

ちゃんとそうして微睡む
真実の欠片の様に…





レモン

無明
2014/03/24(Mon)



くすぶって居る
傍観の群れの意識の塊
先駆している
貴方の生命の歩みに
まとわり付いて
立ちはだかる
虚無の隔たりの壁のよう

魔性の縁起の根元ならば破壊して、
其の生命の大光みなぎらせて、
漆黒の無間の道程から逃れる
黄金の大道への扉を開け放て




レモン

『明日のさきから』
2014/03/22(Sat)


「僕は此れから何処へ行くのだろうか」と、
世界中の孤独の眷属達の魂の思念は、
一集めになって、
ただ自分だけが良ければいいと、
ただ身内だけしあわせならば
其れで困りはしないと、
相対的な欲望に捉われた人々の意識の渦が生みだした
現世の現状の悲惨な涙の孤立感と、
明日には壊れても不思議無い
無防備な怠惰の笑顔の輪と、

格差を如実に映し出すTVモニターのバランス失った
現代の行く末の未来の物語り

再生の理想(ゆめ)を、確かなヴィジョンを、
憂うつなまなざしが、
希望の心奥の光見いだす

哲学の規範を日常へ



レモン

“末法万年尽未来際”
2014/03/21(Fri)


窓の外にはもう新しい春季(きせつ)
意識のうちにはそう輝かしい時節、

煌きながら駆けていく音律
ときめきながら走りだした韻律

詩想/着想/連想/颯爽と
響き渡る魂の共鳴

歳月はつながり
日輪と満月が掌(て)をつないだ

運命の沃野は切り拓かれて、
桜梅桃李(はな)達も溢れだす

永遠・瞬間・きのう・あす
信心・実践・実証・みらい

辿り着くべき道・はるか彼方、昔




レモン

帰命
2014/03/20(Thu)


精神的、宇宙的
聖なる戦いが一つに成っていた
おおきな生命のなかで
繰り広げられて

翔び超えて、
勝ち超えて、
乗り越えて、

脈動する因果の理法で、
浄化していく魂達の淀みと濁り

意識さえ遠のくような歳月に、
目蓋まで滲んでいくような時間の連なり

なつかしい記憶さえ、
未来で輝き羽ばたく鳥達の囀り

わすれていた情景さえも、
歓びのなかで咲いた
美しき結束のあの絆


*南無=帰命




レモン

仏智
2014/03/18(Tue)




きみの宇宙で咲いている
数々の星たちは、
さまざまな輝く色彩で、
私たちの意識へと直結する

きみの宇宙で生きている
たくさんの華々が、
いくつもの感情を携えて、
僕たちの明日へと変化する


誰かの何かや、何かの其れ等から
生命の深淵に触発を受けて、
あらたな未来のさきへと
微笑いも涙も意思もなく
決定させられて
泳いで行く





レモン

『雪柳 光の王冠』
2014/03/11(Tue)


池田名誉会長の写真紀行
「光は詩う」


「光」が噴き上がっていた。
「命」が噴き上がっていた。
「咲きほとばしる」と言うべきか、抑えても抑えても、抑えきれない春のエネルギーが、
真っ白な「光の噴水」となって、勢いよく湧き出していた。

あれは一九八三年(昭和五十八年)の四月五日。私は中部の高校生・中学生の代表と語り合った。中部文化会館の屋上である。

三月初旬の愛知・三重訪問に始まり、関西、沖縄、九州、中国を回って、前日に再び愛知に戻ってきたところだった。

暖かい陽射しだった。青い空に、絵のような名古屋城が、そびえていた。「しっかりと勉強するんだよ」「名古屋城のように、堂々とした人間に育つんだよ」

なかには、お父さんの病気に心を痛めている子もいた。私は一生懸命、励ました。

城を背にして、記念撮影のために並ぶと、カメラの向こうに、遠く、雪柳が盛りの命を咲いていた。

透けるような純白の輝きが、未来部の友の姿と重なった。


雪柳は「雪」であり「花」だった。「冬」であり「春」だった。

白という光の中に、春と冬が溶け込んでいた。まるで、希望と苦悩が渾然一体になっている青春時代のように。

青春は、苦しい。悩みばかりだ。しかし、悩みがあるから、心は育つ。うんと悩んだ日々こそ、一番不幸だと思った日こそ、あとから振り返ると、一番かけがえのない日々だったとわかるものだ。

だから苦しみから逃げず、苦しみの真ん中を突っきって行くことだ。それが森を抜ける近道だからだ。

寂しければ、その寂しさを大事にすることだ。寂しさや悲しさを、遊びなんかで、ごまかすな。使い捨てるな。耐えて、耐えて、自分を育てる「こやし」にしていけ。

逃げたくなることもある。

でも、雪柳は動かない。雨の日も、寒風の日も、じっと自分の場所で根を張って頑張っている。頑張り抜いたから、みんなのほうから「きれいだねぇ」と来てくれる。

人間も、魂の根を張ったところが「自分の故郷(ふるさと)」になる。

完全燃焼したところが、心が安らぐ「自分の居場所」になる。

私は、みんなにお願いした。

「お父さん、お母さんを大切に」

君たちが生まれる時、どんなに、お母さんが大変だったか。あなたが大きくなるために、両親は、どんなに疲れても、眠れなくても、大事に面倒を見てくれた。苦しい仕事にも耐えて働いてくれた。

あなたが初めて声たてて笑った時、初めて歩いた時、どんなに両親は幸せでいっぱいになったか。病気になったとき、どんなに、おろおろと心配したか。

感謝できる人は幸せな人だ。

雪柳は太陽への感謝を忘れない。

太陽は、いつも惜しみなく光を注いでくれた。いつも、ありのままの自分を、そのまま受けとめ、光で包んでくれた。だから今、雪柳は「太陽への恩返し」のように、明るく周囲を照らしている。

人間だって、花と同じように、光がいる。人も、人から大事にされないと、心が枯れてしまう。だから君が、みんなの太陽になれ。

人間だって、花と同じように、水がいる。自分で自分を励ましたり、喜ばせたり、心を生き生きさせないと、心は枯れてしまう。

自分で自分を励ませる人は、すてきな人だ。人のつらさも、わかる人だ。自分で自分を喜ばせる言葉を、強さを、
賢さを! 落ち込んだ心を、よいしょと自分で持ち上げて!

自分で自分を好きになれないと、人だって愛せない。

記念撮影を終えて、私は雪柳に近づき、カメラを手にした。

天をさして咲く花もあれば、地を向いて微笑む花もあった。それぞれの個性が集まって、光の束になっていた。

そして雪柳は、すべての力を、ただひとつのことに傾けていた。

天から与えられた自分の生命を生ききること。自分が種子として持っていたすべてを、表現しきること。自分本来の姿へと開花すること。それ以外、何も願わなかった。

ほかの花と自分を比べようなんて夢にも思わなかった。人が自分をどう思うかなんて、どうでもよかった。自分にできるかぎりのことをすること、それしか思わなかった。

今、だれもが個性、個性と簡単に言う。「自分らしく生きる」と言う。でも本当は、それは茨の道である。みんなと同じようにしているほうが楽だからだ。


柳のようにしなやかな雪柳の枝に、無数の星が光っていた。無数の宝石で飾られた王冠のようだった。

そう、自分の道を歩み抜いた人は、だれでも英雄だ。「みんなが一等賞」なのだ。宝冠の人なのだ。

だから「自分にできないこと」ばかり数えて落ち込んだり、文句言ってるなんて愚かだ。「自分にも今、できること」が何かある。必ずある。それを、やり抜く人が偉いのだ。その人が最後は勝つ。

雪柳は敏感だった。だれかが通り過ぎただけの風にも揺れる。

あなたも、恥ずかしがり屋なら、そのままでいい。無神経になり、デリカシーをなくすことが「大人になる」ことじゃない。コンクリートみたいに固い花はない。花は、みんな柔らかい。初々しい。傷つきやすい。人の思いに敏感なままの、その心を一生咲かせ続ける人が、本当に「強い」人なのだ。

運命は外からやってくるんじゃない。君の心の中で毎日、育っているのだ。

毎日がらつまらない時。それは自分が、つまらない人間になっているからかもしれない。

人生をむなしく感じる時。それは自分が、からっぽの人間になっているからかもしれない。

人生に、うんざりした時。人生の方が君にうんざりしたと言っているのかもしれない。

人間は結局、自分自身にふさわしい人生しか生きられない。

だから、成績は中くらいでもいい、人間が大であればいい。頭がいいとか悪いとか、成績だけで分かるものじゃないし、生きる上でたいしたことではない。

ただ、自分が「不思議だ」と思う疑問を大事に追求することだ。そのことを考えて、考えて、考え抜くことだ。

そして、いざという時、真理と正義のためなら、自分を犠牲にできる人になれ。そんな人が一人でも増えた分だけ、この世は美しくなる。


世界のどこかに、君にしかできない使命が、君の来る日を待っている。指折り数えて待っている。待たれている君は、あなたは生きなければ! めぐりあう、その日のために!


輝くためには、燃えなければならない。燃えるためには、悩みの薪がなければならない。

青春の悩みは即、光なのだ。


雪柳も、冬の間に積もった冷たい「雪」たちを、枝から染み込ませて今、「花」に変えて噴き出しているのだろうか。

中国では、その名も「噴雪花」(ふんせつか)という。



レモン

実相
2014/03/10(Mon)


望みと諦めが交互に湧き上がる
魂の内面の模様に喜怒哀楽する様に
生きている人界の私たちのゆめのつづきは

四苦八苦している宿命の僕たちの時代の今が
新たに生まれ変わろうとしていく
殻を破ろうとしていく軌跡の証左




レモン

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