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贈言
2014/05/21(Wed) 君よ! 快活な時もあるだろう 沈思の時もあるだろう 苦悩の時もあるだろう これが青年の季節であり 瑞々しい青春の実像であることを 知ってくれたまえ * 人間誰しも 悩みは一生にわたってあるものだ ただ その悩みをいかに転換させ 人生をして向上にむかわしめてゆくかが 大事な起点であるといってよい * 今日も負けるな 人生とは闘争の異名なれば 今日も自己に挑戦して 忍耐と執念の一日を送ることだ * 熾烈なる革命の 闘争の日々であったとしても その季節になれば 山吹と萩と菖蒲を忘れ得ぬ 私は 青年詩人でありたい * 最後の勝利者が 真の勝利者というならば 君の今日の労苦は 栄光の第一歩と思うことだ * 自らの宿命と戦え 自らの運命と戦え 信仰者らしく 地涌の戦士らしく そしてこの世の 一生の縮図の因果の律動が 三世永遠につながりゆくことを 喜びとしながら 今日も 悠然と嵐に向かいゆくことだ * 生命尊厳という題目は 誰でも唱えられるが しかし要は 大宇宙の一隅の地球に 厳粛にも生きているという この宿命的な自己の存在に どれほど歓喜と謙虚さがあるかー この差で模倣か独創かが決まるのだ 山本伸一 レモン
“時”
2014/05/22(Thu) 時ー 色もなく 香りもなく 形もなく 音もなく 連続にして無限に通過しながら 位置する時ー 時は無言ー 瞬間にして永遠 永遠にして瞬間 一瞬の停滞もなく 感傷もなく 距離もなく 理論もなく 極大でもなく 極小でもない彼は 人間群を無視しながら 宇宙を包んで流れゆく 怒りの時 恐怖の時 歓喜の時 辛酸の時 鉛の時 虚空の時 非情の時 慈愛の時 しかし これら下界の 小さき生命の振幅の上空高く 彼は ただ透明な沈黙の無表情で おのれの使命のままに 巨歩していく 時は支配者ー 彼は強い 彼には謙遜はない 彼ほど偉大な定義もない 能面のような表情でいながら 確実に全ての事象を呑み込み 解決しながら歩む この時空は 失意のものには 怨みの稲妻 歓喜のものには 晴れやかな金波 疲労のものには 諦観の月 あっという間に 切なる人間の願いを砕き 社会の激流を逆転する彼 この絶妙な 無言の作業をもつ 彼は 何者なのかー 時は絶対の支配者といってよい 傲慢な地上の権力者でも 彼にひれ伏さぬ者は 一人としていない 誇りゆく栄華の日々も 彼の眼前には 一片の反故となる 小さな人間のあがきの策略も 彼はあざ笑うように 冷静な痛撃を与える 時は常住ー かつての昔 東洋の哲人は この彼の本姿に深心を傾け 人の世の永遠を探求しぬいた そして遷り変わる彼の淵底(えんてい)に 確たる常住不変の因子を発見したのだ たしかに時は支配者かもしれぬ しかし その漠たる彼の素顔を知れば 彼は 法則の可能性として 人間の絶大な味方になると説いたのだ この「時」という原理を知る者は強い 時の実体を把(つか)んでいるものは 崇高にして最も尊い 彼をも胸中に収める 因果律の法をもつものには 正確な現実と未来が 判断されよう もはや 俗性に迷わないからだ 時は流れる 変化しながら不変に流れる 有限でありながら無限に流れる 想定も仮定も 大胆な形而上の範疇に入れ 巨視眼で 歩みゆく ただ 時という定義に到達したもののみが 時とともに 永遠に 歴史の桿頭(かんとう)に立つだろう (1971.12) 詩 山本伸一 レモン
少年
2014/05/23(Fri) おお はるかなる空想の彼方から 未来の騎馬の姿に輝きながら 広い曠野を駆けきたる小さき友よ 金風にますます乱舞する朗らかな君よ 君らこそ 新しい都へと急ぎゆく 大いなる 未来からの使者だ もぎたての果実のように 柔軟な心 寒暖計のように 敏感な心 すべてを満身にうけながら しかも不正を憎む 日出ずるいのち 君たちは視るだろう 漣の涯に 希望の虹がかかるのを 君らは聴くだろう 一枚の木の葉にも脈打つ光りの鼓動を 君たちよ! 君たちよ! 温かくして強い魂の波動で 生きとし生ける すべてに応答しながら 溌溂(はつらつ)たる青竹のように 鋭く 天空を刺し貫いて あくまでも 真っ直ぐに伸びたまえ 君は 未完成の彫塑(ちょうそ)といってよい あらゆる自由の造形への世界を秘めながら やがて 人生の舞台へ さっそうと登場するのだ しみいるような 純白のキャンバスに 来る日も 来る日も 自分らしい青春の金文字を 胸ふかく録したまえ 夏空に泛(うか)ぶ 白い雲に叫んだ その声は いつの日も 気圏に谺しつづけているだろう 凍てた夜(よ)の 星座に誓った あの祈りは いつの夜(よ)も 満天に結晶して 燦めくにちがいない 少年の日々に 心に刻みつけた いくつもの憧憬(おもい)を 君たちよ 水の流れの如く いつまでも持続したまえ 君がやっと掴んだ この真実の核は 暗夜の海に 清冽な光りを放ちながら 不滅の灯台と輝くにちがいない 君よ 君たちよ 波にむかう船出の日は近い 人生の航路の海は荒くとも あかあかと ひとり胸に燃えゆく 理想の炬火(たいまつ)は 消すべくもないだろう ああ いつの日か 世の陰惨に触れずにはすむまい 汚れなき生命(いのち)に 悲哀を味わうこともあるだろう けれど 君よ 君たちよー どれほどの圧迫をうけようとも あの日の いとけない双頬(そうきょう)に 大人びた影は射しても 心に翳りなき君であってほしいのだ 君よ! 君は 限りなき創造の世界の王子 どんなに屹(き)り立った岩に行き逢っても 挫折などという言葉で 甘美に 自分を慰めてはならない ただ一人 渾身の力で 現実を くやし涙で極限に挑戦しゆくことだ 荒波に揉まれるがいい 絶壁を攀(よ)じ登るがいい 炎熱の日々に汗を流すがいい 休息を知らぬ若き不撓の力で 自ら希(ねが)った荊の道を切り拓くがいい その瞳は 純粋な生命(いのち)の小窓 透明な精神の鏡を 歪んだ才知の濁りで曇らせてはならない 無辺に変わりゆく社会を直視しながら 凛冽の怯まざる行進を続けたまえ 雛鳥もやがて鳳(おおとり)となる ああ その羽搏きが大空をおおう時 なべての継続の辛労は昇華され ものみな人間勝利の歓喜に包まれて 高らかに凱歌を歌うにちがいない 未来の人類たる君よ! 君の心に 掌(て)のなかに 円い地球の運命は託されている 小さな世界は 君たちの庭園 近い未来は 君たちの所有 そのにぎやかな前途を 僕は心から祝福したいのだ 詩 山本伸一 レモン
彩光
2014/05/24(Sat) かけがえのない 明日という一日を 満ち足りた光り輝く 運命の日にする そのため、 僕たちは今日も生きている 僕たちは今日も存在してる どんな時にもそれを忘れずに どんな時にも決して諦めずに 今生の最期の日のゴール それだけをただ目差して それだけをただ信じて 光りの生命の解放された 穏やかな自分の意識へと 生まれ変われる そのため レモン
光の王子 王女に贈る
2014/05/25(Sun) 不思議にも 大宇宙はどこまでも 果てしなく 広い その多くの 天の川の 星々の煌(きらめき)を見ながら 青き 美しき かけがえのない 地球は浮かぶ 今この地球にも 黒い影がさしかかりつつある かけがえのない この新天地の舞台を 守りゆくために 新しい生命の光が 必要となってきた 君達こそ その光の王子 春のごとく躍動し 快活に 伸びやかに 生命の栄光を詩う 希望の使者なのだ 秋空のごとく けがれなき胸に 勇気と正義と誓いの心をもち 心みだれゆく 悩みの友を あたたかい太陽の光でつつみゆく 慈しみの勇敢な人に 僕はなってもらいたい いまだ世界の中には 不幸に泣く人々の涙がある 戦火に逃げまどう少年がいる 我が子の飢えに泣く 母がいる 光の王子 光の王女の妙法の君達よ 悲しいみじめな歴史を変えゆくために 幸(さち)の光り輝く世界を築きゆくために 今こそ学び 今こそ自身を磨き 力ある正義の人に育ってくれたまえ 真剣に勉強して 成長しよう 頑健なる体をつくろう 未来に大きく羽ばたくために 弱き自分に打ち勝っていこう それには「信仰」という 人間にとって最高の 根っこを作ることだ 根っこは深いほど不動である 甘えの中に成長はない 父が また母が 汗に汗して築いた 広宣流布の大地を滋養に 崇高なる学会精神を学びながら 君達よ 無限の可能性をはらむ君達よ 後継の緑豊かな 堂々たる 光をあびた 大樹に育ってほしい その輝く王子 王女の 友情熱きスクラムこそ 青き地球を照らす 二十一世紀の光源となるに違いない 我が愛する 光の王子たる君よ 我が愛する 光の王女たる君よ 僕は 君達のためなら 喜んで 礎石(いしずえ)となる 僕が 数多の嵐の中をも 悠然と進むのは まぶしき誓いの 光の王子 王女の 瞳を信じるからだ 二十一世紀の 広布の山で 大樹と育つ 君達を あおぎ見る日を 僕は楽しみに祈り待っている (1984.1.1) 山本伸一 レモン
バイブレーション
2014/05/26(Mon) 迷わずにいまは歩いていく 遅すぎはしない刻の続き見据えて 積み重なった過去の道のりには 好きだった忘れて居た 花たちが微笑う様に 祝福してくれているみたいに 咲いている とどいているふるえている 感情の小波の束が 感応の意識の側に 堪え切れそうにない 魂の叫びの音声(ことば) 生命の信号で打ち続けてる 仕草で レモン
“凡夫即極”
2014/05/27(Tue) 光の粒子が 迷宮の生命の地図を あかるく照らす 運命での旅路を 戦いの中で倒れた 過去の刻の幾人もの自分を いたわる様に 愛(いつく)しむ様に 燦々と昇りゆく朝日 未来を創り直す ヒビ割れたかつての想い出も 修復された絆の温もり 世界再興の始り だれもが宇宙生命の関わりと交わり 皆人が覚醒革命の因縁縁起の羽ばたき レモン
新たな軌道
2014/05/28(Wed) 日曜日は、むかしなつかしい あの日に発見した山に行った。 徒歩で、其の湖を一周した。 いつも感じているよりも、 天空が、白雲が、太陽が とてもとってもちかかった。 もう10年近くにもなる、 なぜかあの日に登った山だった。 一人きりで歩いていると、 時も、喧騒(おと)も、微風(かぜ)も、夢も、現実(いま)も、 そして未来(あした)も、 何処かとおくへと吸い込まれて居なくなってしまいそうに感じた。 水辺にはきらきらと太陽の光りに反射しているちいさな波と白い砂たち 人工物も殆ど見当たらない原生林みたいに覆われた途には 刻の入口と最後の扉が隠されている様で、 つぎの時代のつぎの時間にかけ出していくように急ぎ足になって歩いていた。 それはまるで、過去世も未来世も現世も、すべて飛び超えてしまったかの様な、 不思議な不思議な一日でした。。 レモン
転機
2014/05/29(Thu) 4,5日前に、表にある今はもうすっかり葉桜になってしまった一枚の葉っぱに、テントウ虫のサナギが付いていた。 久しぶりに見付けたので、おもわず葉っぱを千切って、ウチの中に持ち帰った。 昨日の朝までは、変化が無かったが、晩に見てみると、 サナギがやたらとしぼんで干涸らびて見えたので、 「うわっ失敗したかな」と思わず息を呑むも、視界の上の方の、果物の入っていた(イチゴかなにかの)容器の隅っこに、薄いオレンジ色をした、まだ脱皮したばかりの彼(彼女)が其処には居た。 まだ慣れないのか、かすかなおぼつかない様子の動きで、 ちょこちょこと動いていて可愛らしい。 容器の葉を入れ替えて、水滴を多く増やして、息が出来る様にして蓋をして、昨晩は就寝。 今朝、先程、見てみると、真っ黒な背(羽根)に、左右対称の薄オレンジのまるい点(星)が一つずつ。 名前を調べたところ“ナミテントウ虫”だと思われ、もっとも多く生息している種のテントウ虫であるとの事。 今日の夕方すこし涼しくなった頃合を見はからって、 外に放してあげようと思う。 レモン
未来をひらく君たちへ
2014/05/30(Fri) きのう、1972年初版の書籍『未来をひらく君たちへ』がメール便にて到着した。 装丁がとてもすばらしく感動した。 太陽のなかに白馬に跨った逞しげな意志を感じさせる青年の絵。 表紙を外すと、同様のデザインは銀色にかがやいている。 発行元は、“金の星社”という出版社とのこと。 主に十代の少年少女に向けた哲学書。 一番最初にある“はしがき”の部分から少しだけ抜粋してみる。 私は少年と語り合うのが大好きだ。 希望に燃えている君たちと会い、清らかな瞳の君たちと語らうたびに、だれもが、君にしかない独特の個性と、未来への無限の可能性を秘めていることに、新鮮な驚きを感ずるのです。 そして、そうした君たちが、すくすくと伸びゆく姿を見ることほど、うれしいことはありません。日本の、いや、全世界の少年少女の皆さんが、その清らかな瞳の輝きをいつまでも失わず、平和で幸福な世界を築いてくれることを、心から願っています。 その願いを込めて、私は今まで、いろいろな機会に、たくさんの皆さんと語り合ってきました。質問も、かぞえきれないほど受けてきました。学校や勉強のこと、友だちや両親の問題、さらには、人生論や社会の事柄までさまざまでした。 なかには、専門家ではない私にとって、答えにくい質問もありました。問題の核心を衝いた鋭い質問を浴びせられて、驚いたことも何度かありました。 しかし、私は、どの質問にも、答えられる限り、真心込めて答えてきたつもりです。 この本は、そのなかから、この数年間、主に中学生の諸君から受けた質問に対する答えをまとめ、質問した人だけでなく、他の人にも通ずるように筆を加えたものです。 私は、諸君を、おとなと変わらぬ、立派な一個の人格として尊重し、尊敬もしています。紳士とも思い淑女とも思っておつきあいしています。それが最も正しい態度だと思うし、これからもそうしていくつもりです。 それは、少年であっても、人間としての生命の尊さは、おとなと異なるはずがないからです。男性と女性が本質的には平等であり、職業の貴賎、身分の上下などがないのと同じように、年齢によって、人間の尊厳の度合いに違いがあるはずがありません。 もちろん、おとなと子供が全く対等だとはいえない面もあるでしょう。社会に対する役割りや、責任の違いという点からいえば、子供がおとなと、同じ権利を主張することはできない場合もあります。しかし、それは、人生の先輩と後輩という違いによるものであって、本質的な違いではないと思うのです。 私は、そうした信念と姿勢から、同じ人間同士として皆さんに接し、質問にも答えてきたつもりです。 また、私は特に頭のよい人間でも、偉い人間でもありません。ノリ屋の息子として生まれ、皆と同じように戦火の下を逃げ回り、いろいろな悩みを抱いて少年時代を送った、ごく平凡な庶民の一人です。 ですから、この本に書かれていることは、人生の一先輩からのアドバイスだと思ってください。 … レモン
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