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幸福について
2012/02/12(Sun) 幸福の瞬間 それは、友と素のまま腹を割ってしゃべり合ったときである 積極的に酒の力を借りないんだ そして実際に幸福に感じる瞬間 それは、友と素のまま腹を割ってしゃべり合ったことを思い出すときである つまり1人になったとき これまでにない幸福を感じるんだ でも“腹を割って”とは、相互に幸福を分け合ったり、創り上げたりする意味での現象だから、 ふしだらで、みすぼらしい関係ではないんだ つまり、暖かな絆を望んでいるの 友情ごっこ、愛情ごっこじゃないから たとえ酒の力を借りたとしても 近すぎず、遠すぎず あくまで心地よい距離感の保てるような関係 それを、友と呼び、ひいては幸福と呼ぶ とは言え、まさに“心地よい距離感”こそ 幸福な人生において切っても切り離すことの許されない大事なテーマなんだ 近いとか、遠いとか あらゆる人格のうちで最も心の陣地を占拠する主観的道徳観に基づいているから 私を理解しようとしない友に出会ったときは たいていの場合には自分のほうも不愉快で、不満足なんだ 自己中心的道徳心にばかり捉われている だから関心は心の内側に寄せるんじゃなくて 心の外側に寄せるんだ つまり、知らない世間へ私は向かう 適度な距離感を欲して私は向かうよ 慎也
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