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慎也の日記

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プロフィール
詩人名 : 慎也
詩人ID : t
誕生日 : 1992年8月18日
性 別 : 男性

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過去ログ

会話術
2011/11/01(Tue)

先の知れた会話を克服するための合言葉は、


“解放トークを享受せよ”


それは例えば、会話の先手を打つ手段を学ぶこと。

つまり会話の素材を先行して提供する手段を用いること。

会話の素材の選択肢にある壁を自主的に排除する道を選ぶこと。


きっと相互に自由意志に基づく血の通う開放的会話を享受できるのかも。





慎也

変わる者たち
2011/11/03(Thu)

君の声は
面白おかしく聞こえる


君の声は
うそっぽく聞こえる


君の声は
いとおしい


君の声は
生々しい


君の声は
透き通っている




慎也

その前に
2011/11/05(Sat)

誰かを打ち負かすための力は
孤独という暗闇を生むだけ



みんな、自分のため


みんな、みんな

自分のもの





慎也

思いやりの果て
2011/11/08(Tue)

今は空虚なプライドも
劣等感も優越感も切り捨てたよ


謙虚な気持ちって何かって、
考えたことなかったからだよ





慎也

搾取
2011/11/09(Wed)

夢や希望を隠しながら
同情に沈む人


謙虚に話を聞いているのに
孤独の深い人


心から明るく振る舞って皆を照らすのに
とても緻密で計算高い人


心は極端に繊細で打たれ弱いのに
行動は大胆でいい加減な人


平気な顔立ちなのに
実は孤高の歪みを痛感している人


隣で腹を空かしている子供がいるのに
“個”に拘る人


安全地帯に逃げ込んで
何も守れるものなどないのに、そのフリをする人





慎也

無題
2011/11/11(Fri)

あなたは言葉を非常に暴力的に使っています。あなたの疑問、質問、意見その思いは全く伝わらないのです。それ、“風”な道具としての個々の言葉を他と同じように扱わないようにするべきです。危険を回避するための危険な方法では本末転倒です。ただし、それを独立的に度外視すべきではありません。言葉から発っせられようとする思いは、いつも似たようなものでしかないからです。


残尿感の残る非常に非開放的な日常だ。この当然があって当たり前と思わないからだ。だからこそ、残尿感が残るのだ。夢見る非現実主義者と非難されても仕方がない。


さて、現実の本題に戻ろう。


あなたは言葉の価値を蔑ろにする。それでは、あなたは無知ということか。いや、そうではない。あなたは、あくまで暴力的に過ぎないのだ。言葉の山を実に乱雑に無秩序に創作する。まるで目についた物から順番に積み上げているようだ。


正しき均衡を取っていないのだ。均衡とは、ご気楽で平凡な生活という意味ではない。むしろ、その逆である。何が起きるか予想できない明日を目指して、今を自発的に積み上げるのだ。

ただし今を自発的に積み上げるというのは、正直に生きるのとは違うぞ。それ程、いい子でいて、潔さを示そうものなら、価値ある結果は達成されぬからな。


騙して、騙されるのだよ。人間性というものは。目当ての利益のためなら、お世辞を表するのも辞さないのだ。相手を煽てて、その浮かれた揚げ足を取るものだ。もしも君が称賛されて延びようものなら、相手はそれ以上に達成感を味わっているのだ。換言すれば、個性の搾取、だ。この個性の搾取こそ、現代のエッセンスを表現する現象である。


さて、具体的に個性の何が搾取されるというのか。もちろん、個性そのもの、全部ではない。突き詰めれば、その答えは“無”だが、私は極論を提供する輩ではない。



具体的にはそれは、個性の中にある矛盾のことではないか。はっきりしないエッセンスはいつも何かの従属物として利用される。体系化を測る単なる奴隷的な要素なのだ。その弱みに付け込んだ行為を搾取と私は呼ぶ。個性の搾取だ。





慎也

整合
2011/11/14(Mon)

自己犠牲を惜しいと思う?


その不作為による傷付いた誰かがいるとしても?


それを欲しいと願っている誰かがいるとしても?



その作為から多くの人の命が守られるかもしれないのに
それでも惜しいと思うのか



惜しいのか

欲しいのか







慎也

当事者
2011/11/15(Tue)

ぴんぴんころりの人生で
底の高さを誇るあの子は
空を見上げて悩み続けている
一人で抱えきれない荷物を背負って


僕はその目撃者




慎也

蒸留
2011/11/16(Wed)

涙や孤独感を独り占めしようと隠す
笑顔や感動を共有したいと願う


煮詰まる思い

その不確かさを追及するつもりなどないのに


あらゆる引き金を引く自分


だらしない生活を送るのも自分



どうか君と僕の価値観の食い違いに
思いやりと想像と、緊張感と
謙虚で清潔な気持ちを…



そして生涯に1人を

愛するのみだと言えたら…





慎也

緊急逃避
2011/11/18(Fri)

逃げないこと、そのものににつき、考えた。一般が言うその旨は、主に人が集まる場所にとどまることだ。群がる場所に真実ありといわんばかりに。まるで、過疎地にとどまる個人、怪しきというように。そもそも、逃げるやつは、交流そのもに抱く価値観が異なるのに。思えば、私の生活は逃げているだけで、なんにも挑戦しようとしないと一括されている。日常そのものが萎縮しているのも当然だ。いや、ここでは、萎縮させられていると、責任を他に帰属させるほうが正しいのかもしれない。しかしながら、集団生活は実に窮屈で息苦しい。居心地の悪さ。それこそが人間に課された宿命なんだと、また、それを一括する。理想の自分が消えない限り、それで納得するはずがないのに。それでも環境の責任にする屁理屈も、ここに来て限界だ。そう。私は理想の自分から逃げている。理想には、それなりの魅力を含んでいるからこそ惹かれるはずなのに、どうして逃げているのか。矛盾しないか。そもそも、理想ではないから逃げているんだと考えることも可能だが、それは違う。もしかすると、私は変人なのかもしれない。いや、ただの天の邪鬼である。基本的に私は逃げていることに間違いはない。何を根拠にか。それは誤解を避けようとしているからだ。誤解を恐れている。誤解に直面してもその解決法を考えないために逃げる。難しいの一言で一括して物事をいい加減に済ませる。私が逃げている原因を自覚したところで、逃げないことによる、その強みは何か考える。人と出会うというのはとてもリスクを伴うのだ。それは誤解や対立を生むからである。





























そうか、それには価値がある。

ぶつかって、正そうとする力が溢れるからだ。




慎也

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