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慎也の日記

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プロフィール
詩人名 : 慎也
詩人ID : t
誕生日 : 1992年8月18日
性 別 : 男性

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無題
2011/11/11(Fri)

あなたは言葉を非常に暴力的に使っています。あなたの疑問、質問、意見その思いは全く伝わらないのです。それ、“風”な道具としての個々の言葉を他と同じように扱わないようにするべきです。危険を回避するための危険な方法では本末転倒です。ただし、それを独立的に度外視すべきではありません。言葉から発っせられようとする思いは、いつも似たようなものでしかないからです。


残尿感の残る非常に非開放的な日常だ。この当然があって当たり前と思わないからだ。だからこそ、残尿感が残るのだ。夢見る非現実主義者と非難されても仕方がない。


さて、現実の本題に戻ろう。


あなたは言葉の価値を蔑ろにする。それでは、あなたは無知ということか。いや、そうではない。あなたは、あくまで暴力的に過ぎないのだ。言葉の山を実に乱雑に無秩序に創作する。まるで目についた物から順番に積み上げているようだ。


正しき均衡を取っていないのだ。均衡とは、ご気楽で平凡な生活という意味ではない。むしろ、その逆である。何が起きるか予想できない明日を目指して、今を自発的に積み上げるのだ。

ただし今を自発的に積み上げるというのは、正直に生きるのとは違うぞ。それ程、いい子でいて、潔さを示そうものなら、価値ある結果は達成されぬからな。


騙して、騙されるのだよ。人間性というものは。目当ての利益のためなら、お世辞を表するのも辞さないのだ。相手を煽てて、その浮かれた揚げ足を取るものだ。もしも君が称賛されて延びようものなら、相手はそれ以上に達成感を味わっているのだ。換言すれば、個性の搾取、だ。この個性の搾取こそ、現代のエッセンスを表現する現象である。


さて、具体的に個性の何が搾取されるというのか。もちろん、個性そのもの、全部ではない。突き詰めれば、その答えは“無”だが、私は極論を提供する輩ではない。



具体的にはそれは、個性の中にある矛盾のことではないか。はっきりしないエッセンスはいつも何かの従属物として利用される。体系化を測る単なる奴隷的な要素なのだ。その弱みに付け込んだ行為を搾取と私は呼ぶ。個性の搾取だ。





慎也

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