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善田 真琴の日記

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詩人名 : 善田 真琴
詩人ID : maczenda

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詩人の部屋
2012/03/01(Thu)


07年頃だったか、詩人の部屋のトップページに「公式掲示板閉鎖」という記事を見付けた。その前後、自分は詩人の部屋を留守にしていたので、事情は一切知らないが、恐らく掲示板が荒れて管理人が苦情メールなどの対処をしきれなくなって閉鎖処置の已むなきに至ったのだと推測された。

その後、ある人が「あなたがみん掲で」云々と僕の感想掲示板に書き込みをしたので、「みん掲」って何だ?と思ったが、後日「みんなの掲示板」の略だと知った。その存在さえ知らない掲示板で、僕が書き込みをする筈もないが、僕に似た印象の人がいたらしい。

公式掲示板が閉鎖された後、それは作られたのだろうが、管理人が手に負えないものを、一ユーザーが管理可能なのかと疑問に思った。

昨年の震災後、詩人の部屋が少し荒れた。みんなの掲示板で起きたボヤが作品投稿掲示板に延焼し、更に何人かの部屋へ飛び火しているように僕には見えた。


事の推移を全て観察した訳ではないので、上のような観測は間違っているかも知れないが、仮にみん掲の管理者が新たにテーマを設け、イベントを立ち上げ、その結果、前述のような騒ぎに発展した場合、その管理者はフォロー出来るのだろうか?僕にはその意志すらない様に見え、単に無責任に煽り、祭りを楽しみたいだけの様に映る。

ルールの隙間を縫うようなアイディアには脱帽するが、そもそも詩人の部屋の管理人には了解を取ってあるのだろうか?管理人が手に負えないと判断し閉鎖したものを無断で設置・運用しているとすれば、管理人に対して礼を失した行為ではないかと思う。僕は必要があって数回、みんなの掲示板を覗いた事はあるが、書き込みをした事は過去一度もないし、するつもりも今の所ない。

詩人の部屋には寂しがり屋が多く、人と繋がっていたいと思う気持ちは良く理解出来るが、ここは投稿サイトであり、相互の作品評価が第一義の目的の筈だから、切磋琢磨し作品の質を高める努力をお互いにするべきだと思っている。交流したいだけなら、余所へ行くべきで、詩作品を道具やダシに使うのは本道とは言えない。

最後に単なる突撃厨や、言い逃げだけの一言居士などは一切無視するが、それなりに論理構成がまともで、意見として成立しているなら、対応する用意がある。その際の判断はこちらでさせて貰う。


善田 真琴

詩人の部屋2
2012/03/03(Sat)


ネットは公開の場である事を再度認識した方がいい。2ちゃんねるに詩人の部屋のウオッチ・スレッドが立っているのを以前、見かけた事があるが、その時は閑古鳥が鳴いていた。

その代わり、現在の詩人の部屋の中に個人の「1人ヲチスレ擬き」があって、部屋の隅々まで巡回している模様である。その膨大な時間と無駄なエネルギーの浪費ぶりにはただ呆れる他ないが、すべて公開・解放された空間である以上は、誰が何処に行き何を覗いても自由である。

しかし、ローカルで他人がしている事をイベントを仕立てて、わざわざセンタリングした上、祭り化する必要はあるまい。それは個人の自由を奪いかねない。

例えば、ヲッチャーに常に見張られていると思うだけで気持ち悪いものだが、更に特定の相手と頻繁に交流すると、あらぬ誤解を受けるのではないかと自主規制の観念が働き、自由な行動が阻害される要因になる。

自由意思による自由な行動と自由な観察や閲覧行為は、両方が尊重されなければならないが、時に対立する。結局は行動者と観察者双方の節度の問題になる。

今回の一件で、僕は特定の人と必要以上に仲良くするのは極力控えようと思った。だって無関係な人のケツの穴まで覗いてる変なオッサンがいるもん。それを遊び半分でみんなに大声でアナウンスされたらたまらない。

善田 真琴

イコン
2012/03/04(Sun)


人の作品を読んでいて、投票やコメントをしようと思っても、作品自体の重みと深さに負けて二の足を踏む事がたまにある。そんな時ぼくは、黙って立ち去る。後日訪問して思い通りの感想が書けそうになければ、更に先へ延ばす。人間、時には我慢も必要だ。

とは言え、絵画や文学、音楽などの芸術世界で、時間をかけ丹念に仕上げた作品が、思い付きと勢いだけの作品より劣って見える事もよくある話で、これと同じ様に、ある作品を読んで受けた感動を、直ぐに伝えたくて書いた脇の甘いコメントが、作者にビビッドに真っ直ぐ伝わる場合も少なくない。

大学時代は絵を描いていた。学祭の展示会初日の朝まで、徹夜で仕上げた最後の一点を、原チャリの足元に置いて走っていたら、作品を突風に飛ばされ、その上をトラックが踏んでいった、という悲惨な記憶が、何の脈絡もなく脳裏に甦った。

幼稚園以来のぼくの絵を母親が長い間、保存しておいてくれた。その中に動物園で見たのか、タイトルが「らいよん」という絵があった。

随分遠くまで夢を引き摺って、後戻り出来ない所まで来て、やっと気付く事がある。

自分には才能がない。

誰か早くその事実を僕に教えてくれる人がいれば、その後の遠い回り道はなかっただろう。しかし、当時の自分にそれを認める客観性は微塵もなかったから、結局は同じ事だったに違いない。

今、部屋の壁に一点だけ自作の油絵が掛かっている。利き腕ではない左手によるデッサンを元にした、モディリアーニかぶれのその人物画は、絵の具が剥落して、今ではまるで古い教会のイコンのようだ。

もう絵は描かない。否、描けない。スケッチ・ブックに一本線を描こうとしても、最初の着地点を思った所に置けない。もうぼくの視力はここまで酷くなっている。自分に才能がないのを知っている事が、一つの救いになるとは、なんとも皮肉な話だ。

話が大幅に逸れた。
人の作品へのコメント投稿に関することを書くつもりだった。

最近巷に流行る「一票族」。
それは、他人の作品と向かい合う読者としての努力の放棄であり、表現者としては、自分の想いを捉えて、それを言葉に還元する意欲の否定である、とぼくは思っている。その考え方を他人に押し付ける気持ちは毛頭もないが、一票を連発する人は、誰の何という作品に投票したか、例えば翌日には忘れているだろう。そんな扱いを受ける作品たちをぼくは可哀想だと思う。


善田 真琴

知らんぷり
2012/03/07(Wed)


小6の修学旅行の時、停車中のバスの窓から立ちションをしているオジサンの背中が見えた。周りも気づいている事は雰囲気で伝わった。

誰もが気づいている事を、誰も言い出さない事に居たたまれなくなったぼくは、「うわっ、あんなトコで立ちションしてる!」と言い放った。我慢してたおしっこを放出した後のように、すっきりした気分だった。

すると1人の女子に「みんな知ってるのに、知らんふりしてるの!」と叱られた。それは、小1のぼくが、教室でおもらしした時、ぼくの家まで替えの下着とズボンを取りに行ってくれた子だった。

「女って大人だな、おれは勝てないや」その時、そう思った。それは今でも変わらない。


春待つと
地団駄踏んで
騒ぐほど
出るに出られぬ
土筆なりけり

善田 真琴

3月9日
2012/03/09(Fri)


本日、母の誕生日。
昨日、好きな本に手紙を添えて速達で発送した。郵便局の帰りに近くの神社で参拝。父と母の長寿を祈る。初詣以来、4回目。

「瞳を閉じればあなたが瞼の裏にいることで、どれ程強くなれたでしょう。あなたにとって私もそうでありたい」(「3月9日」より)

帰ったら、実家から電話がかかってきそう。恥ずかしいこと手紙に書いたから、なんか照れくさい。居留守使おうか、とか。


追記
あっら?家に帰ったけど、電話かかってこない。なんだ、ソレ。身構えて損したわ。

わかったっ!テレてんな、うちのかあちゃん。

追記2
電話あり。早速、本を読んでくれたようで。「昔と違って、お父さん優しいから、母ちゃんしあわせ」だと。息子にノロけてどうする!

あと話は違うが、詩人の部屋で最近、某氏とキャラが被ってて、分身だと思われてやしないかと少し心配。

あれ程、軽佻浮薄じゃないから!
この際だからハッキリ云っとくけど、別人です。証明できないけど。


善田 真琴

くちなしの花
2012/03/10(Sat)


見え乍ら敢へて見ざる様に自ら目を閉ざし歩き続ければ、いづれは転ぶらむ。転ぶ危ふさ知りつつ、それに賭くるは博打さながら、手持ち少なく切羽詰まれば、余裕失ひて負くるは必定。目的のため過程を顧みざれば、例え手中に収めれども自ら満足するを得ず、臍をかむは火を見るより明らかなりとぞ。

床の間の
寂し気なれば
慰めに
活けし梔子
はや褪せにけり


善田 真琴

命の数字
2012/03/11(Sun)


日本では毎年
事件・事故・病気その他で
100万人以上の人が
亡くなる。

この国の何処かで
一日平均、
3人近くの人が殺され、
14人前後が車で事故死、
80人以上の人が
自ら死を選ぶ。

それでも、毎日
全国の何処かで
2800人近くの
新しい命が生まれてる。
僕らの細胞が時々刻々
入れ替わるのと同じで
日本は日々に新しくなる。


(大震災で亡くなられたお一人お一人の御冥福をお祈り致します)


閑話休題。
…さて、5or6年くらい前のある記憶を紐解いてみる。

その頃、ホテルのバーか何かで、不良中年が若い娘相手にバーボンかなんか飲んでいる場面が描かれた作品を、ここ詩人の部屋で読んだ。会話中心で、オシャレなハードボイルド風短編詩だった。

その後、どれ程経ったか忘れたが、ある日、その人の作風が激変しているのに気付いた。それどころか、中年男から若い女性に書き手が変わったのではないか、というくらいの変貌ぶりだったので、恐らく、ある女性が相手の編集パスワードを知っていて、男性の部屋を乗っ取ったのだと当時の僕は推測していた。そして、知らぬ間に、書き手は現在の男性に戻っていた。何となくで証拠はないが、その女性の見当もついた。

その疑問を僕は今まで誰にも話したことがない。今回の事があるまで、実は忘れていた。僕はそれを言わなかった事をいつか後悔するだろう。つまり、あれは彼の「癖」なのだ。それも知った上だったのならば、もう僕に云いたい事は何もない。

今の気持ちを言い当てた喩えが浮かんだ。カルト宗教に洗脳され拉致された子を思う家族の心境。しかし、残念ながら、僕は血を分けた家族ではない。

善田 真琴

てにをは
2012/03/13(Tue)

「京へ筑紫に坂東さ」

京都はじめ関西では「へ」
筑紫、九州では「に」
坂東、関東では「さ」

「東京さ行ぐ」と東北の人は云うが、実は関東人も昔は「さ」を使っていたらしい。

「かもめ食堂」以来、おにぎりが大好きになった。コンビニのツナマヨもいいが、最近はうちでも良く作る。ラップを使うと手が汚れないのを発見してから、作ること自体が楽しくなった。

この所のお気に入りは、納豆を中に入れ結んだあと、粗塩を摘んで回りにパラパラ、そして海苔で巻いたやつ。あと、実家から送ってもらった手作りの「油味噌」。これは、豚の三枚肉と味噌を甘辛く味付けしたもの。これがご飯と海苔にベストマッチ。多分、世界一旨い。

「てにをは」に話を戻すが、「おにぎりが食べたい」と「おにぎりは食べたい」、それから「おにぎりを食べたい」の違いを説明できる日本人は少ない。答えは外国人が書いた「キリンの首は長い」という本に書いてあります(笑)

この不景気の中、「おにぎりが食べたい」と書き残して餓死した人がいる、という記事を何かで読んだ。多分、その人は「おにぎりは食べたい」と言うほどワガママではなく、「おにぎりを食べたい」と言うほど冷静沈着でもなく、他でもない「おにぎりが」食べたかったのだと思う。この国「は」何処「へ」向かおうとしているのだろうか。

中国人は、冷たいご飯を食べる習慣がないので、弁当など考えられないそうだが、当たり前です。日本のお米は冷めても旨く、そもそも品質のレベルが違う。もし、TPPなんぞに加盟したら、中国産の農薬入り安価米が流入して美味しい国産米は駆逐されます。みんな頑張って阻止せねば。「え?中国はTPPに参加してないけど?」という声が聞こえてきそうだが、あの国はもともと国際ルールなど守るつもりなどないし、理不尽な難癖をつけて来るのは目に見えている。しかも、我が国の民主党政権は、「押せば引き、怒鳴れば謝り、叩けばうずくまる」と完全にナメられているから油断は禁物。




本日、辞世の句を作った。
これで何時でも逝ける。

雲の波かき分け進む月の舟
行き着く先は吹く風に聞け

風吹きて星瞬きて雨降らば
われ泣き笑ふ印とて見よ

善田 真琴

発見
2012/03/14(Wed)


生きていると、自分に関してまだまだ発見がある。

どうもぼくは奇数が嫌いらしい。見た目、トンガっててイビツな感じを受ける。

感想掲示板のレス数見てて
偶数は美しいと思った。


善田 真琴

軽佻浮薄v.s.重厚長大
2012/03/15(Thu)


人間は自分で自分の首に紐をつけた狼みたいなもの。制御出来ているようで、本能に逆らわずに動く。

1人褒めると、他は自分が貶されたような気がするらしい。それは相対的な枠組みでしか自己評価が出来ない証左である。

互助会のような風潮の中、見るべきは芸者の踊り。太鼓持ちが、やけに出しゃばる。「志の低きこと湿地帯の如し」

軽いものは浮き、目に付き易いが、やがて流され消えてゆく。重いものは沈み、その姿は容易に見えないが、底を嵩上げし、全ての礎となる。安直に流され淘汰されて終わるか、それとも流れに逆らって彼岸へと死力を尽くすか。泳ぎ切れるだけの実力をつけておかなければ、目が覚めた時は恐らくもう遅い。

サブ・カルチャー流行りの世の中だが、面白ければそれでいい時代は終焉を迎えたと思っている。


善田 真琴

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