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ひとり古語復活運動
2012/03/19(Mon) 【かたじけない】 (忝い・辱い) @恥ずかしい A身にしみてありがたい B恐れ多い 元来は、容貌の醜い意を表す語 (以上、広辞苑より) 以下は私見だが、「かたじ」は「片し」で、例えば「靴下の片しがない」のように使われるが、両方のうちの片方の意味ではないかと考えられる。 「かたじけない」は「片し気ない」で、対面した相手に向ける顔がないくらい恥ずかしい、というのが語源ではないか、と推測する。それが、自分には不相応で勿体ない程、相手の好意が有り難いという、感謝の気持ちを表す言葉へと発展したのではないか。 「ありがとう」は、「有り難き幸せ」と言うように、本来「あり得ない」と言う意味で、「想定外な好意への感謝」の意味合いが強いが、「かたじけない」には「相手に対する謙虚な気持ち」がより込められていて、「恥」の意識が底辺にある。 西欧の個人主義から観て、日本人には「個」の観念が薄いとされるが、そんな事はない。 例えば、英語の「thank you」は「think you」の転化で、相手の事を「考える」という意味しかなく、ベクトルはこちらから相手への一方通行である。それに対して、日本語の「ありがとう」や「かたじけない」は相手からこちらへ、こちらから相手へと気持ちが「行って来い」する双方向性のベクトルを語源的には有している。 つまり日本人には「個」がないのではなく、目の前にいる相手を常に意識した上での自分の「個」という存在がある、と言うだけの話である。 武士は戦さになると化粧をした、と「葉隠」という本にある。敵に首を獲られても無様な死に顔は見せない、という「恥」と「矜持」の文化がそこにはあり、「体面を保つ」という言葉だけでは足りない。それが日本流の「個」の意識であり、西欧流の個人主義ほど薄っぺらいものではないのである。何故なら、西欧のそれは他人や体制との単なる権利義務の関係に過ぎないから。 「かたじけない」は「ありがとう」より、もうひとつ滋味深く、守備範囲の広い言葉だ。形から入って中身は後から入れればいい。日常でも人に何かしてもらったら、軽い気持ちで「あ、かたじけない」と言ってみませんか。 最後に、読んでくれた人がいるなら、「かたじけない」。 善田 真琴
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