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善田 真琴の日記

2012年03月




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詩人名 : 善田 真琴
詩人ID : maczenda

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風見鶏
2012/03/25(Sun)

風吹けば
昨日はアチラ
今日はコッコー
空を翔べない
日和見Chicken


ニワトリに餌付けされて人間が誘導されるようになったら、この世もお仕舞い。



閑話休題
(それはさておき)。

前日、香港人との国際電話について少し触れた。外国人と書かず、敢えて香港人としたのはワケがある。

その香港人は、「日本人は昔(戦前)、中国人をブタと呼んだ」とぼくに言った。ぼくは日本人を代表して相手に謝った。当時のぼくは自国の歴史に関して全く無知だった。

「あの子のお父さんは、人殺しです」と自衛隊員の子を指差して、クラスの生徒たちに教える先生がいるような、そんな特殊な風土の中でぼくは産まれ育った。学校だけでなく、新聞やテレビ&ラジオを始めとするあらゆるメディアが真実を伝えてはいなかった。それは「洗脳」と呼んでもいい程、悪意に満ち、しかも抜きがたい病理に蝕まれていた。それは今でも変わらない。しかも、それは日本全土に及んでいることを今のぼくは知っている。

あれから自分なりに自国の歴史について調べ学んだ。だから、今ならあの香港人を相手に違う対応をするだろう。

日本は悪い国ではない。
日本人は世界的にも類い稀なる優れた民族だ。

上のように書くと、直ぐに「右翼」のレッテルを貼られる。ならば、外国人に語らせた方が早い。以下にいくつか引用してみる。

「日本のおかげでアジアは独立できました。日本というお母さんは、母胎を壊してまでもアジア諸国という子供を産んでくれました。今日、アジア諸国が欧米と対等に話が出来るのは誰のお陰か。それは自らを殺してまで産んでくれた日本というお母さんがあったからだ」(プラモード・タイ首相)

「あの戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。それなのに、すべて日本に背負わせ、日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった」(ブン・トモ インドネシア情報相)

「彼ら(日本)は謝罪を必要とする事など我々にはしていない。それゆえ、インドはサンフランシスコ講和条約には参加しない」(ネール・初代インド大統領)

「我々を白人支配から救い出してくれたのは日本だった。我々は大戦終盤に日本を見限ったが、その恩は忘れない。日本ほどアジアに貢献した国はない。日本ほど誤解を受けている国はない」(バ・モウ ビルマ首相)

「アジアには日本がいた。アラブには日本がいない」(ナセル・エジプト大統領)

黄色人種だけに語らせるのでは片手落ちなので、白人を代表して当時の敵国だった米国人の言葉も見てみる。

「東京裁判は史上最悪の偽善だ。もし米国が同じ立場だったら日本と同じように戦っただろう」(GHQ参謀部長 C・ウイロビー)

「東京裁判は正義ではなく、明らかなリンチだ。私たちアメリカがどうして日本を罰する事ができるのか私は理解できない」(社会学者 H・ミアーズ女史)

尚、東京裁判を主導したGHQのマッカーサー司令官本人が、米議会の外交委員会の席で、日本の戦争行為を安全保障のため、つまり自衛のための戦争だったと証言している。

あの戦争で少なくとも米国相手のそれは、自衛戦争だったと100%断言してもいい。米国の敷いた線路の上を日本は走るしかなかった。それは親密だった日英の間に米国が割って入り、日英同盟を破棄させた辺りから始まっていた。その後の経緯を書いていると、あと1万字くらいあっても足りない。そもそも学校で学ぶのは、ガイダンス・レベルであり、本当に身につき、必要とされる知識は、社会に出て自分で学んだものがほとんどだと個人的には思う。今は、ネットで手軽に調べられるのだから、あとは「フランクリン・ルーズベルト」、「ハル・ノート」あたりをキーワードに検索して調べれば、そこから様々な関連語句へ飛び回るうちに、やがて全貌が見えてくるだろう。

いくつか具体例を挙げれば、ソ連コミンテルンの暗躍や、同盟国ドイツが中国国民党に軍事顧問団を派遣し、武器を密輸していた事実、ルーズベルト大統領が「卑怯」だと断じた真珠湾攻撃の前に「フライング・タイガー」を使った日本本土への宣戦布告なき攻撃を許可する旨の、彼の自筆サイン入り書類の存在など、知らなかった膨大な事実の前に暫し慨嘆のため息をつくことになるだろう。

いずれにしろ当時も、あの戦争は半年、長くても1年しか保たないと、始める前から判っていた。最初から負けることが明らかな戦争を侵略戦争と呼ぶのは、言葉の定義としても可笑しい。それは自滅or自爆戦争と言うべきで、侵略という様な、他者の権利を奪うための積極的な有形力の行使ではない。
喩えば、殺すつもりで本気で大人が自分に向かってきたら、子供は無駄と判っていても必死で抵抗するだろう、結果的に殺されたとしても。それを積極的加害行為と誰が呼べるだろうか。

ハワイ、グァム、フィリピンを植民地にしていた米国に「侵略」という言葉を使う資格はない。否、そもそも米国そのものが、ネイティブ・アメリカンを大量虐殺し、不毛な居留地に彼らを追いやり、その土地を奪い尽くし、その上に国を建ててしまった強盗・強奪国家ではないか。

フィリピンは戦後に独立したが、ハワイを植民地だと現在呼ぶ人はいない。今もグァムの元首は、米国大統領である。要するに「勝てば官軍」で強者の論理が、たとえ真理からほど遠くても、堂々とまかり通るのが世界の現実という事だ。

善田 真琴

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