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善田 真琴の日記

2012年03月




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詩人名 : 善田 真琴
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古文依存症
2012/03/24(Sat)


似非古文&和歌or短歌ばかり捏造していたら、以前のような口語作文の書き方を忘れてしまった。

話がやや迂回するが、昔、香港人とテキトー英語で6時間あまり国際電話で話したことがある。深夜から出勤間際まで徹夜で喋っていたので、職場に着いてもボ〜ッとしていた。始業まで同僚と他愛ないお喋りをしている時、相手が怪訝な表情をしたので、ハッとして我に返った。ぼくはイエローモンキーのくせに「a-ha」とか「uh-huh」とか無意識に相槌を打っていたのだ。相手は相当気持ち悪かったに違いない。本当に穴があったら、寧ろブラジルまで掘りたいくらい恥ずかしかった。

このように、言語には脳のどこかに切り替えスイッチがあって、一旦オンにすると慣性の法則で走り続け、ある程度強い抵抗を加えなければ直ぐには機能停止しないシステムになっているらしい。車がブレーキを踏んでも直ぐには停まれないのと同じ理屈。

それは古文にも同じ事が言えて、その世界に常駐していると、「古文脳」で文章を考えるようになる。外国語に堪能な人が脳内で言語変換するのではなく、その外国語で直接モノを考えるのと基本的には同じだと思う。

ぼくは、源氏物語を1年余りかけてゆっくり読んだ。文庫版で、資料集を含めて全10巻。最初は一々、古語辞典を引いていたが、そのうち調べるのが面倒になり、物語の筋を追う事に専念し読み進めるうちに、段々意味が採れるようになっていった。

それから半年ばかり経ったある日、日記をつけている時に、「もしかして」と脳内電気が急に点り、古文で書いてみたら稚拙ながらも文章が綴れるようになっていた。

実は、ぼくはそれまで万葉集・古今和歌集・古事記・伊勢物語・土佐日記・枕草子・蜻蛉日記・徒然草・今昔物語・平家物語などは既に読了していた。源氏物語はぼくにとって謂わば、古典山脈の最高峰ともいうべき存在だった。

源氏物語を読んでいる頃は、ちょうど嵐山に住んでいて、環境としてはこれ以上ないシチュエーションだった。嵯峨野の竹林を通って野宮神社へ行ったり、旧街道を松尾大社へ抜けたり、格好の散歩道だった。仁和寺近くの小さなお寺にある吉田兼好の墓前に詣でたのもその頃だった。

その後、ぼくの興味は近世の古典、芭蕉などの俳句や近松、西鶴など心中物or町人物などに移り、極め付きの武士道「葉隠」に至る。新渡戸稲造の「武士道」は英文(原書)と日本語版の両方を読んだが、あれは例えばクリスチャンでもない文学者が聖書の解説書を書いた、みたいな本で彼の解釈による武士道に過ぎない。もっと言えば、水泳の教則本みたいなものだ。彼は武家の生まれだが、物心つく前に明治維新を迎えた。だから武士道の匂いくらいは嗅いだかも知れないが、外国暮らしが長く、キリスト教徒になり、夫人は外国人だった。そんな異教徒&売国奴に真の武士道が分かる筈がない、…とかね。

本当は新渡戸の「武士道」は基本書や入門書としては最適の本だと思う。一方、宮本武蔵の「五輪書」は関ヶ原前後の「どんな手を使っても勝てばいい」式の実戦的な剣術指南書みたいなもので、武蔵の哲学は一般の人のイメージする武士道とはかなりかけ離れている。

かなり話が脱線したが、以上のようにぼくの古典遍歴は古代・中世・近世と推移してきたので、一時、色んな時代の言葉使いが混雑していた。実は今もぼくの「古語」が何時代のものか自分自身でも判然としてはいない。紫式部や兼好法師がぼくの作文を見たら、首を傾げながらこう言うだろう。

「こは、如何なる国の言葉にて書きたる文にや」



善田 真琴

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