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善田 真琴の日記

2012年03月




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詩人名 : 善田 真琴
詩人ID : maczenda

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イコン
2012/03/04(Sun)


人の作品を読んでいて、投票やコメントをしようと思っても、作品自体の重みと深さに負けて二の足を踏む事がたまにある。そんな時ぼくは、黙って立ち去る。後日訪問して思い通りの感想が書けそうになければ、更に先へ延ばす。人間、時には我慢も必要だ。

とは言え、絵画や文学、音楽などの芸術世界で、時間をかけ丹念に仕上げた作品が、思い付きと勢いだけの作品より劣って見える事もよくある話で、これと同じ様に、ある作品を読んで受けた感動を、直ぐに伝えたくて書いた脇の甘いコメントが、作者にビビッドに真っ直ぐ伝わる場合も少なくない。

大学時代は絵を描いていた。学祭の展示会初日の朝まで、徹夜で仕上げた最後の一点を、原チャリの足元に置いて走っていたら、作品を突風に飛ばされ、その上をトラックが踏んでいった、という悲惨な記憶が、何の脈絡もなく脳裏に甦った。

幼稚園以来のぼくの絵を母親が長い間、保存しておいてくれた。その中に動物園で見たのか、タイトルが「らいよん」という絵があった。

随分遠くまで夢を引き摺って、後戻り出来ない所まで来て、やっと気付く事がある。

自分には才能がない。

誰か早くその事実を僕に教えてくれる人がいれば、その後の遠い回り道はなかっただろう。しかし、当時の自分にそれを認める客観性は微塵もなかったから、結局は同じ事だったに違いない。

今、部屋の壁に一点だけ自作の油絵が掛かっている。利き腕ではない左手によるデッサンを元にした、モディリアーニかぶれのその人物画は、絵の具が剥落して、今ではまるで古い教会のイコンのようだ。

もう絵は描かない。否、描けない。スケッチ・ブックに一本線を描こうとしても、最初の着地点を思った所に置けない。もうぼくの視力はここまで酷くなっている。自分に才能がないのを知っている事が、一つの救いになるとは、なんとも皮肉な話だ。

話が大幅に逸れた。
人の作品へのコメント投稿に関することを書くつもりだった。

最近巷に流行る「一票族」。
それは、他人の作品と向かい合う読者としての努力の放棄であり、表現者としては、自分の想いを捉えて、それを言葉に還元する意欲の否定である、とぼくは思っている。その考え方を他人に押し付ける気持ちは毛頭もないが、一票を連発する人は、誰の何という作品に投票したか、例えば翌日には忘れているだろう。そんな扱いを受ける作品たちをぼくは可哀想だと思う。


善田 真琴

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