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メモ
2010/05/15(Sat) 空間に反転圧搾がかかり、一秒に100平方キロメートルずつ世界が滅んでゆく。 まず宮崎が無くなり、やがて大阪も呑まれて消えて、 数日で日本が、一年余りで世界が、暗黒い運命に追い抜かれ終わる。 一秒に100平方キロメートルずつ滅んで行くこの世界を、女と男は連れ立って駆ける。 反転し圧搾され死に絶えた街を、手を取り合い二人して黙々と歩く。 まだ生きている世界を目指し滅びの前線を越えるため、人一人居ない無生物の世界をひたすら線的に進んでゆく。 キリスト教の教会は何処も人間だったものでいっぱいだねと、ある日男は呟いた。 不思議だね、仮に死に臨んだとして、果たして君が最後に神に祈ることを望む? 少なくとも僕なら末日に神道の神に祈ったりはしない、 世界が終わろうというとき、我々にも神々にも他にする事があるだろう。 それは我々の神が他人だからだと答えて女は囁いた。 一秒に百平方キロメートルずつ滅んで行くこの世界を、女と男は連れ立って駆ける。 ★☆★ 昏迷し眠ったようにも、実は一睡もしなかったようにも感じられた春の目覚め。 私がすっかり温くなったタオルを退けても、一切は闇だった。苦労して起き上がり、辺りを見回す。何も見えない。 「うん」 頷いて見る。 取り合えず、一晩寝ても何も解決しなかったらしい。 血と糞尿の異臭、そして啜り泣きが空間に満々て、悪夢的危機は夢でも妄想でもなく確かに其処に在った。 今は朝なのか昼なのか夜なのか、どの教室なのか教室のどこなのか、何をするべきなのか何をしたいのか、課題・疑問が不安を煽り立て、酷く惨めな気分になる。朝から心が折れそうだ。 「あれが熱に浮かされて見た幻覚でなければ、私たちは昨日校舎まで帰りつけたはず」 独り言を呟くのは経験的に、こういう非日常に放り込まれた時は何か、どんな小さなことでも取っ掛かりを見つけることが助けになる事を知っているからだ。例えば… そう、世界の変容にも左右されない自分自身の確実性連続性の確認とか。紙に現状を書き出していったり、大事なことを声に出して挙げたりすることは精神の落ち着きを取り戻し、自分のパフォーマンスを確認する効果がある。 「私は渡辺壬邦で此処は教室。趣味は陶芸とパソゲー、好きなアーティストはBoA。家族構成は下宿してる従妹と犬と両親と犬と母親とよろしく!」 ……自分が軽く錯乱していることは分かった。 「クラスの皆で修学旅行中、なぞの病気で皆次々と血の涙を流して失明してって、とうとう私まで血涙と高熱で倒れて、クラス一丸錯乱して家を目指して、学校まで行き着いたところでこれは体育のマットかな?クラスかどっかで寝かされて夜を明かした、と。ふうん?」 「凄いことに成ったなあ、おい?」 私は耳元のささやきを無視する。 「音樹! 居る!?」 「うん!」 彼の声はしゃがれ切っており恐らくは愚かにも為す術なく泣いていたのだろうが、返事の有ったことは私を酷く安心させた。 「音樹! 状況は!?」 「目が、目が見えないようっ」 「そんなこた……」酷い怒りに駆られそんなこたどうでもいいんだよと怒鳴りかけたが、危ういところで飲み干した。音樹は私が倒れた時点ですでに失明していた。 「知ってるよ!……」深呼吸をして乱れた気を落ち着ける。 ひいい、いいひひい、ひいぃえひひいぃ ああ、あああああ、ああああああああああああああっ! いやだ、いやだ、だれか、いやだ、いや、ああ、だれかあぁぁあっ ごふっ、ふ、が、がはぅ、はがは、あああぐぐぐぐっ! 教室が、怒号と悲鳴に充満している。 夜通し上のような呻喘慟哭に悩まされていた記憶は無い、すると私はやはり眠って居たのだろう。 「……音樹、今からそっちに行くから、話し続けろ」 「話すって、何を……」 「何でもいいっての九九でも数えてろ!!」 「ひ!」 友人を怒鳴りつけて自分の不安を紛らわす、こんな弱さが私に有ったのか。私は酷くイライラしていて、恐ろしく恐怖していた。 一々は一、一二は二・・・・・・ 怯え切っている。声で分かるよ、そう思いながら間に合わせのマットを這い降りる。 板張りの床に手を突いたその時。 (ぬちょりっ) 「(っひいっひっ!?)」 おぞっとして振り離す。 床が血で滑(ヌメ)っているのだ。途端、震えが来る。 思わず悲鳴を上げた自分が腹立たしい。 糞。私は、気が高ぶってるんだ。呼吸が、どんどん荒くなる。良くない兆候だ、パニックの発作を起こしたら失神してしまう。 畜生! 神様・・・ 天にいます我らが父よ…… 御名をあがめさせください。 御国が来ますように祈らせください。 御心に天が適うように地も又適いますように。 主がわたしたちの日々の糧を今日も与えられ、 わたしたちの罪を赦されますように。 主よ、わたしたちも人をゆるしますように。 わたしたちを誘惑におちいらせず、 悪からお救いくださいますように。 「アーメン 」 「壬邦(ミクニ)ちゃん!」 音樹がしがみ付いて来た。 人間の体温の感覚。ああ。 息が、出来る。 「壬邦ちゃん、見えない!」 「ああ」 「目が、目が、見えないっ!」 「ああ!」 私は考える。音樹をあやしながら。 音樹は明らかに錯乱していたが、体温や反射は正常に思えた。私もまた酷く空腹だったが、不思議と体力はあまり落ちている気がしなかった。そういえば、あれだけあった熱も、音樹同様、引いている。 胸ポケットに、ガムが入っていることを思い出す。一つ取り出し、手探りで銀紙を剥ぎ取って、食え、と音樹の唇に押し付けた。音樹が泣き止む。まるで子供だな。 「喉に詰らすなよ……」 ガムを彼の口に押し込んで、咀嚼を始めたのを確認し、抱き締めた。彼の強張った筋肉の感触に、そういえば私たちはまだ子供だったなと思い出す。 「歯磨きガムだよ、歯にいいんだ……」 「……」 「キシリトールってフィンランドの発明なんだよ、知ってた? 国を挙げて食後のガムを普及させて、虫歯抑止に成功したんだ」 「……」 そもそも旅行を『病欠』した幸運な旧友達を除けば、大内哲美が、最初だった。 たまたま生理痛に重なったお陰で、発見が遅れた。彼女は初日すでに落涙していたらしい。申告しなかったのは、単純に恐ろしかったからだろう。 修学旅行三日目には、海馬良秋、李日美、瀬戸川里奈、そして日比野音樹が発症し、翌朝には其の全員が失明し、更に私を含む数人の落涙が始まった。 八日間が予定され九州をまわる筈だった私たちの旅行は恐慌状態のうち終わりを告げ、恐らく五日目の今日、私たちは仙台郊外、第四高等学校に帰還している。 「健常者は!?」私は、怒鳴ってみた。「居るんでしょう、目の見える奴は!? 返事をして! 居ないの!?」 反応さえなかった。 誰も、啜り泣きを止めようとさえしない。 本当に居ないのか、居ない振りをしてるのか、はたまた逃げたのか。 私なら絶対確実に三つ目の選択肢を採用していただろう。伝染病かも分からない奇病に冒された級友一同の世話? 愉快なアイディアだな、震えが来るぜ。 そういえば、私たち一行には立場上そうした義務を負わざるを得ない気の毒な大人達が居たんだった。 「先生!」 「先生、返事をして!」 浮浪霊
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