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万田 海斗の日記

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詩人名 : 万田 海斗
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野上やえこ 海神丸を読んで  マイオリジナル感想文
2011/08/03(Wed)

 「床板一枚奈落の底」というスリル溢れる難破船で、飢えた一人の乗組員は仲間を殺してその肉を食らおうとまで企てた。人食い事件の疑いの濃い実話を、筆者は見事にリアルに描いている。特に文中、短いセリフや心の描写がビンビンに効いていて、胸に迫る。


 この凄まじい物語を「ゾクゾクする、勧善懲悪の物語である」に過ぎないと片付けるには、余りにも短絡的過ぎるようだ。


 長い人生の毎日の生活には、色々なことがある。悲しいことも、苦しいことも。よく結婚式のスピーチなどでも語られるように、「人生も旅」なのである。一つの家庭は一つの船に例えられ、共同生活を営んでいる家族や職場などのグループは、お互い同士の協力やそれぞれを思いやる愛徳心などがあってこそ生き延びられるといえる。


 世界のどこに住む どんな人にも共通な「共同生活における理想的な気持ちの持ちよう」は、いつの時代にも、落ち着いてバランスの取れたものだ。だから、実際には船乗りとは無関係な一般の人も、この話を他人事と突き放して考えるには、あまりにも創造力がなさ過ぎる。「海神丸」は一見 稀に見る 珍奇なもののように思われがちだ。が、これは 我々の日々の生活に置き換えられる話だと言えるのだ。


 今でこそ、ちょっとした事件でもたちまちマスコミに群がられ、すぐニュースになってしまうが、まだ情報社会ではなかった百年前には、この類いの出来事はあちこちに点在していたであろうと思われる。それを作者は、うまく取材して書き残してくれた。


 結局、人というものは一定の囲いのある暮らしの中で、「自分との闘いに明け暮れて生涯を終えるのだ」とも知らされる。


 さらにここには、極限状態におかれた人間の取る行動のミステリアスさも絡められている。そして、狭い了見で自分本位なものの見方がいかに危険かということもよく分からせてくれる。


 「空に突き刺さった鋲のような太陽と、どこまで行っても海ばかりの世界」の表現は、気の遠くなるようなハングリーな状況を象徴している。かくいう私も船乗りだった時、狭い世界でのストレス解消の難しさをイヤというほど味わった。


 退屈な日々。バカ笑いにも飽きる。我慢。しつこいネガティブな人間関係がまとわりつき・・・。いたずら。険悪なムード。あきらめ。そして、気違いじみた世界・・・。


 一つのことに捕らわれていると、人とは思考力が弱まるもののようだ。登場人物の一人は食べるものの幻想まで見て、ついには人肉を食らいたくまでになった。


 このごろは、バラエティー豊かな遊びが金さえあれば出来たり、テレビなどを気軽に楽しめる世の中で、「海神丸」のような世界はありえそうにない。が、少し創造力を働かせば、この話は巨大な恐怖となって我々の面前に立ち塞がるはずだ。


 ここで私は強く思う!


 憎しみ合って共食いしようなんて考え及ぶ輩が現れるほど、人の価値というものは低いものなのか?過去にさんざん繰り返された戦いや愛憎劇などの殺し合いで流された血は、教訓として生きず、現実の前には全くの無意味になりさがるのか?


 所詮 人は生き物であり、最後の最後は 爬虫類たちなどとなんら変わりない死に様をする。これだけ人類の人口密度が増えて来れば、世界人は原始より下等な行動・・・つまり自分さえよければいいという行動・・・ばかりやるようになる、という学者の説もある。  しかし、しかし、だ。そういうことをよく理解した上で、広い視野を持ち、切磋琢磨している日々の生活で体得した知的精神を育もうではないか!恥ずかしくない「いち個人」として、修羅場の土壇場で、人間の底力をありありと見せてみようじゃないか。海神丸の船長のように。





 船長の勇気ある行動は、文庫本を握り締めながら応援した私の肢体に染み付いて、完全に第六感として植え付けられた。


 この作品は純粋なる古きよき時代の文学であり、最近目に余る「売らんかのための興味本位の作り事」では、決してない。そこがたまらなくよく、洗練された渋みが全編に脈々と流れている。劇中では 言葉のやり取りが方言ゆえに、より現実味を帯びており、登場人物の呼吸までが身近に感じられ、時として細胞の一粒一粒も見えて来るようで、恐ろしさもより一層眼前に迫って来る。ここまで卓越した作者のような筆力があれば、話を読むだけで、人に人一人が生涯出来ようがない経験を、深くさせてくれるものだ。本当にあった具体的な出来事を、自宅にいながらにして感じ取ることが出来る。ノホホンと時間を過ごしている私を覚醒させてくれる。


 やはり「文学」とは、それだけ頼もしく、現代のような移り変わりの激しい世相に於いてさえも、将来性が抜群にあるジャンルだと痛切に感じた。まだまだ出版界は、人類を幸せにする多くの要素を秘めている。





 かくいう私も今し方、病気や失業など多くの難題に立ち向かわなければならない人生の節目に差しかかっている。頑張っても頑張っても報われないとき、「神も仏もない」と破壊的な考えが胸を掠めることもある。しかし、人間それに負けてはいけないのだ。美徳という自制力で理想の生き方を追及すべきである。 様々な障害と葛藤し、悪魔の誘惑に負けず、真の人間味を身につけなければならぬ。人間としてあるべき姿と避けるべき事柄のけじめをはっきりつける必要があるのだ。





 若くして命を散らせた二人。一人の馬鹿者。そして、ズタズタに打ちのめされながら頑張った一人の聖者。


 打ちひしがれながらも頑張った人生。船長の勇気と根性と毅然とした行動力にいちファンとして拍手を送り、自分の故郷の祖先様にこんなすごい人のいたことを誇りに思う。しかも、ほんの二、三代前のつい最近に。


 そして、熟年の入り口にはだかる大きな壁に迫りながら、船長のような人物に憧れ、自分自身も人間性の芯の部分に 太く重い楔を打ち込んでみたいと思うのである。


万田 海斗

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