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これは詩ではない、詞である。Q
2018/10/06(Sat) 夕日が沈みかけた オレンジの道 金魚が泳いでいる浴衣まとった 鈴虫が鳴きはじめたこの頃は 暑い季節が終わりを告げるけど 加速する足並みが 身体を火照らせる 安定しない呼吸を どうか気づかないでいて 一番星が紛れた 群青の きらめき一つ一つが 思い出みたい 街の灯りを嫌って抜け出した 人混み遠ざかってく二人の丘 最後の花が夜空に 咲いて 散って 消えてく その意味を知らなくても 何となく感じていた 今君が隣にいて それを共に見てる 夢みたいな瞬間(とき)を 忘れたくないから また季節が変わって 雪が降り溶けた頃 一緒に笑いたいから めぐる日に会いにいこう 不明 最後の夏 理恵
これは詩ではない、詞である。Q
2018/10/09(Tue) 私が好きな歌手が先日、あるフェスに参加した。 私は遠くて行けなかった。 しかし、SNSでハッシュタグを見ていたところ どうやらファンと一緒に花火を見たらしい? そんでもって、そのファンたちの呟きのロマンチックなこと! 平成最後の夏、それも秋に片足突っ込んだ夏の終わりに好きな人と花火を見る そんな状況が、ロマンチストを生んだらしい。 これ一曲書いたろと思って書いたのが「これ詞Q」。 ちなみに、その好きな歌手は、 今自分が長年夢見てきたステージに向けて、 47都道府県ツアーを行っている。 そのステージの日付が2019/3/26 雪が降り溶けた頃ですよ。 そして、そのテーマとなっているのが 彼女の「めぐり」という曲、そしてめぐりめぐるという現象。 そういう背景があっての ラストのサビとなっております。 理恵
みすずに寄せて
2018/10/14(Sun) いつからか、見ていた夢があった。それは、金子みすゞ記念館へ行くことだ。 みすゞが私の中でどういう存在なのかは、はっきりとはわからない。母が好きなふりをしていたので、私も好きなふりをしていただけのようにも思える。でも、私は漠然と金子みすゞという人物を知りたいという気持ちがあり、小学生の頃、図書室の「入れてもらいたい本」「図書リクエスト」に「金子みすゞの伝記」と存在しない本をリクエストした。 実家に、一冊の詩集があった。紫の表紙に、一羽の小鳥。その上に、「私と小鳥とすずと」とタイトルが書かれていた。 ある日、市立図書館で偶然同じような表紙の色違いを見つけた。オレンジの表紙には「あかるいほうへ」緑の表紙には「この道をゆこうよ」。これが3冊セットなのを初めて知った。うちの残りの二冊はどこへ行ったのか? という気持ちを抱いた。 何年かして、珍しく金子みすゞを取り上げた番組が放映された。みすゞの人生を描いた二時間ドラマだ。あの時はなぜ急に、という思いもあったが、今考えたら生誕100年にあたる年だったのではないかと思う。 それより不思議だったのは、伝記さえ存在しない人物の人生は、描くことができるのかということだった。 それもかなり昔のことで、強く印象に残っているのはみすゞ役だった松たか子が舟の上で綺麗に笑いながら「大漁」を読むシーンと、 みすゞの死を受けて弟役だった三宅健が号泣するところだ。 あの時みすゞの最大の理解者として描かれた弟と、自ら死を選ぶほど愛された娘は、その後どう過ごしたのか。みすゞの人生はわかったが、新たな疑問が生まれた。 そのシーンを忘れられないまま、大学生になった。なんの前触れもなくなのか、何かに触発されてなのか忘れたが、ある日ふと、「もしかして金子みすゞにも記念館があるのでは?」と思い検索した。 あった。さらに、あの詩集はみすゞの詩に感銘を受けた初代館長が激撰した詩集だともわかった。 ここへ行きたい。そう思うようになった。 そして今日、何年の時を経てかは忘れたが、金子みすゞ記念館を訪れた。「あの詩集を3冊揃える」という目標を持って。 ここで、今まで画面の中だったみすゞの人生に触れ、弟や娘についても知ることができた。弟さんも多才な方だったようで、少し驚いた。 で、あの詩集をレジに持っていくと、それより別の3冊を薦められた。それは、金子みすゞが書き留めた詩を、書いた順に掲載した3冊なのだという。 正直、あの3冊を揃えたいという思いがあり、迷ってしまった。 でも、あの紫の表紙はもう帰らないであろう実家。私は親を良く思っていない。先に「母は好きなふりをしていた」と言ったが、それは私の主観である。彼女は言うほどみすゞが好きだと口には出さないし、他にも岩崎ちひろなど、趣味は綺麗だ。しかし、家族に「死ね」は当たり前だし、軒並み私には「お前は人間じゃない」と毎日のように言っていた。現実の、特に家族に対する態度はとても綺麗ではなかった。だから、私は彼女は綺麗なものが好きな自分が好きなのではないかと思っている。 そんな母のもとにある一冊の詩集。自分の手元にあるならまだしも、母の手元にあるなら、正直、無理に集める必要はない。昔からの夢だったから残念な気持ちもあるけど、もう母とは違う人生を歩んでいるという気持ちの表れも兼ねて、おすすめして頂いた3冊を買った。 正直、母からの暴言に疲れ果てて廃人のように過ごしていた時期もあり、本当にこの場所を訪れる日が来るとは思わなかった。でも、これが後に何かを残すような気がしていた。だから決行した。 もうすぐ、金子みすゞをめぐる旅は終わる。その前に、これを書き記したかった。 ただ、詩人には詩で返すのが礼儀だとも思った。だから、「みすずに寄せて」を書いたのだ。 理恵
昼夜に照る
2018/10/18(Thu) 「昼夜に照る」という題名で詩を書きたいと思っている。 「昼夜」は中原中也との、 「照る」は金子みすゞ(金子テル)との掛けことばだ。 しかし、この詩を書くには中原中也記念館で買った公式ガイドブック「中原中也の世界」を読み切る必要があると思っている。 先日金子みすゞ記念館へ行ったと言ったが、 この日、中原中也記念館にも行った。 しかし、私は中原中也の詩もその人物像も知らない。 それなのになぜそこへ行こうと思ったかと言うと、 その近くで好きな歌手のライブがあったからだ。 そのライブ自体は台風で行くことはできなかったが、 中原中也記念館は日を改めて行こうと決めた。 お金もないので金子みすゞ記念館とともに。 また、中原中也は私が詩を書くきっかけとなった人が好きだった詩人だったから、いつか触れよう触れようと思って先延ばしにしていた。 金子みすゞばかり読んでいた私にとっては、中也の詩は少し小難しく見えていた。でも、フランス詩が好きだったと知って納得。確かに、そんな感じがする。行って正解だったと思う。 本当は詩集を買おうかと思っていたが、各人の中也に対する視点が載ってるところに惹かれて公式ガイドブックを買った。特に、大岡昇平は最近興味のある作家だ。その大岡と兼ねてから興味を抱いていた中也が関連の深い人物だと知って、テンションが上がった。しかも、ヤマアラシのような実に興味深い関係だ。それに、まだまだ中也を知らない私にはこれでも良いだろう。 「昼夜に照る」を書く前に、「中也に寄せて」も書こう。「中原中也の世界」を読み進めるたび、そう思う。 理恵
夢日記
2018/10/25(Thu) 一昨日くらいに見た夢。 職場の行事で、とある映画監督のドキュメンタリー映画を見に行った(ドキュメンタリーの主人公が映画監督)。 パンフレットを手渡され上司と一緒に劇場に入ると、既に真っ暗でスクリーンにはCM。職場の人以外の団体もいた。 もらったパンフレットを見ると、ところどころ剥げている。しかも、チラッと目に入った上司のパンフレットとは違っていて、しかもホラー映画の内容っぽい。見比べようと声をかけようとしたら、上司は職場の別の人を見つけて離れてしまった。 目を落としたページには、映画のカットと共にあらすじ紹介。そこに、大きな文字で一言添えられたメール画面のピンク色のガラケーがあった。文面はよく覚えていないが、恋人からのメールのようで「〜しましょうね❤️」という感じだった。 ふっとパンフレットの向こう側を見ると、ピンク色のガラケーがメール画面を開いて落ちていた。「あれ?」と思いまたパンフレットに目を移す。やはり同じ携帯電話。何かの演出かと思って周りとパンフレットを見比べようとして前のページを開くと、真っ黒になっていた。さっきまでところどころ剥げたページがあったのに。 混乱してもう一度ページを先に進めると、やはりページが真っ黒……かと思いきや、何やら白いもやもやが。それを勢いで3ページほどめくったのだが、ページをめくるごとにもやもやが大きく、はっきりしている。4ページ目からはゆっくりめくった。 それが、だんだん人の顔だとわかってきた。しかし、怖いもの見たさでめくってしまう。ドキュメンタリー映画を見に来たはずなのに、このパンフレットの意味も知りたかった。 しかし、その目鼻立ちがはっきりとして、まるで曇りガラスの向こうから手を伸ばしてくる真顔の人のように見えたとき、もうこれ以上見てはいけないなと直感した。 目が覚めたのはその時だった。 理恵
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