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理恵の日記

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詩人名 : 理恵
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野火
2020/09/12(Sat)

私は本を読むのが苦手だ。
半分寝ながら読んで、あまり内容が理解できていないことも少なくない。
それでも読むのは、読みたいと思うからだ。

大岡昇平の『野火』もそんな一冊。
大岡昇平は『花影』を気に入ってこの人の作品をもっと読みたいと思っていた。
彼が自分の戦争体験に影響を受けて、戦時中や戦後の作品が多いことも知っていた。
だから『野火』も戦争が絡んでいることは知っていた。

酷い惨劇の話である。1944年〜1945年にかけてのフィリピンの戦いと言えば、日本が大敗を喫した地上戦である。
病気により部隊を追い出され孤独に陥った主人公がそんなフィリピンの地で生き抜く話だが、
最終的に人食を行うか否かに追い込まれる。結局彼は薄々感づきながらも渡された「猿の肉」以外に人を食らうことはなかった。
この自分から進んで人食するかどうかというのが、主人公の死生観に関わるのだろう。

時代が合わないのかわからないけれど、なんだか文体としては外国語を訳したような印象を受けた。今ひとつ馴染まない言い回しがある。花影はこんなんだったっけな?
言うて花影よりだいぶ前の作品だから、作風も変わったのかもしれない。
解説を読む限り、彼の著である『俘虜記』と『武蔵野夫人』を読むことで深まる部分もありそうだ。

私は何を書きたかったんだろう。
とりあえずあまり理解できていない部分もあるかもしれないから、こんなに偉そうに書くつもりはなかったのに。

理恵

これは詩ではない、詞である。39
2020/09/16(Wed)

ゆらめく火が煙を立て
僕の歩く方を示す
この鼓動が止まればいいのに
願う先は怖くなかった

それなのに一人で生きる道を選んだ
英雄になる前に人間だったんだ

あぁ 山を駆ける風よ
火種はいつ消えるのだろう
交わることのない心は
どこをさまよいゆくのだろう


泥の中を進んだ手が
銃の引き金を引く
罪もなき命が消え
言い訳だけがここに残った

十字架のその下重なった屍を
もう一つ増やした 僕のこの手で

あぁ 空を渡る鳥よ
そこから火は見えるだろうか
水の底へと投げ捨てた
衝動は重みを感じていた

かつて神を信じていた僕が
僕を責め立てる
白い旗を上げても
生きたいと願う 
その足下にいるのは誰だ?

あぁ 目の前に横たわる
命に手を合わせている
もう煙を頼らずとも
行こう 微笑む彼らの元へ

R2.9.18 野火〜大岡昇平『野火』より〜

理恵

落下する夕方
2020/09/23(Wed)

令和2年某日、とあるシンガーソングライターがライブを行った。そのライブのセットリストは、江國香織の著『落下する夕方』に沿って組まれたものであった。

私はライブが終了したその週末、『落下する夕方』を購入した。内容は、主人公である梨果が元彼の健吾の恋敵・華子と同居をするというものである。
これだけ聞けば凄くドロドロしていそうなものだが、華子という女性はからっとした嫌味のない性格で、また、梨果も感じたままを受け入れるような寛容さがある。梨果は華子に嫌悪感を抱かなかった。そしてそんな自分を梨果が受け入れたことにより、この話は秋雨の夜のような、しっとりとした空気感を持つものになる。

そのシンガーソングライターは、恐らくは本の最後にある解説の言葉を借りたのだろうが、この話を「十五ヶ月間かけてゆっくりと失恋していく話」と表現した。だけど、私は違うように思う。この話には華子が重要な人物として描かれているはずなのに、それだと華子がいないような気がした。

私は「再生と崩壊と創造の物語」だと思った。華子という人物を通して新しい価値観を得て、そしてそれが突如なくなる。いわば「崩壊」である。

であれば、華子はあらゆる価値観の擬人化でしかないのかもしれない。華子は初めて会うのにずっと昔からそこにいるような自然さで他人の生活に入り込む女の子である。その不思議な魅力が梨果や健吾、勝矢、涼子と、登場人物を片っ端から虜にしていくのである。時にはそれは、華子本人をも疲れさせるほど。


そんな自然さで生活に入り込んでいるもの。少し大げさな比喩だが、例えばそれが生きる権利だとしよう。私たちは気がついた時には人は人を殺してはいけないことを知っている。人には生存権というものがあって、誰もそれを脅かすことはできない。生存権自体は小学校高学年頃から習うものだが、私たちは感覚的にその前からそれを知っていたのではないだろうか。それはきっと日々の報道とか友達との関わりとか、日常のどこかで知るのだが、これ!という瞬間は上手く思い出せない。

ところが、それがある日突然なくなる。なんてこと、想像できるだろうか。きっとその瞬間、世界は色を失わないほど現実味のないものなのではないか?世界は色を失わないほど……というのは、なんというか、色を失うということは、ショックを受けることだ。それはある種、そのショックを与えた出来事を肌で受け止めるということ。その逆の色を失わない……のは、ショックすらも感じないほど自分にとって現実味のないものとして胸に落ちるということ。どこかで生存権はまだここにあって、その前提で暮らしてしまう。そんなものが、華子にはある気がする。

ただ、この比喩を用いるにあたってひとつ疑問なのが、果たして終盤の梨果は華子の死を受け入れていなかったのか?ということだ。
受け入れているようにも、受け入れていないようにも見える。それは、作中で言っていた「華子の不在に慣れる」という感覚なのかもしれない。

そして梨果は最後にもう二度と恋をしないとわかっている健吾に迫る。それは、梨果にとってある種の儀式だったのかもしれない。最後に好きだった人に触れて、梨果は華子を失うという出来事から、また新たな物語を紡ぎ出す。

本当は、「再生と崩壊の物語」と表現しようと思った。でも、最後にまた始まるような余韻を残している。ならば、「再生と崩壊と再生」か?いやいや、最後に作り出されようとしているのは「再生」する依然に、また新しいものなのである。

先に、華子は価値観の擬人化だと言った。作り出された価値観が崩壊して、そしてまた作り出されるのは新たな価値観なのである。ならば、「崩壊と創造」か?いやいや、元来のものはそれとして、再び構築されていくものもある。例えば、梨果と健吾の関係。恐らく梨果と健吾は、また良き相談相手同士になるのではないか、と思う。同じ時間を共有した者として、情は抱きながらも二度と恋はしないのだろうけど。元あったものはそのままに、しかし新たな芽を育んでいく。

もう長くなるからこのへんにしておこう。
この話には、そんな深い意味はないのかもしれない。ただ、そんなことを思った一冊だった。

理恵

これは詩ではない、詞である。40
2020/09/25(Fri)

あたたかい風が交差点を吹き抜ける
栗毛色の髪を揺らす君が立ち止まる

流れる雲は太陽をお腹いっぱいに吸い込んで
西の空へと駆けていくその前に

君へと追いつきたいよ 2度目の季節がめぐる
花が街を彩ったらSay Hello I love you

まだ少し遠い星が夜を包んでる
こんな瞬間にも君は僕を思い出すの?

名前を呼んだそれだけで僕の想いははじけ飛んで
真っ赤に頬を染めるのにいたずらな

君の笑顔はずるいよ 春の日にきらめいて
輝きを増してくから I can't say I love you

花びらの中 歩く君
それはとても綺麗で 舞うようでした

君は気づいてるのかな? 霞で誤魔化さないで
春の風に乗っていけよSay Hello I love you

君へと追いつきたいよ 白い靴を蹴って
ひらり舞う花を掴んでSay Hello I love you



不明 Say Hello

理恵

これは詩ではない、詞である。41
2020/09/26(Sat)

流星を見つけたのは春のことだった
お互いに家を抜け出して
同じ場所で出会った

あれから夏の風が吹いて
君のことを知った
年も家族も星が好きだってことも
この街からいなくなることも

色づいた木々を眺めながら君が言う
そっか もう そんな季節なんだね
お別れの時が来てしまうその前に
早く 答えを 出さなくちゃ


電車を一つ見送った帰りの道で
あの星を覚えている?
君は空を見上げた

頷き返してみたけれど
本当は覚えてないよ
君の笑顔を声を仕草をすべて
この目に焼き付けていたのだから

君は知ってるの?
悲しい星座の話
こんな思いは
打ち明けられないまま

色づいた木々が風に葉を乗せる頃
また そう 笑うんだ
君が夢を追って 僕の恋が果てるとも
それさえも希望なんだね

君の頬が色づく ふたり季節は移りゆく
そっか もう 目の前なんだね
お別れの時は 君にこう伝えておこう
その 笑顔の ままでいて





2020.9.30 maple

理恵

YOASOBI小説集
2020/09/28(Mon)

YOASOBIは昨年結成、今年デビューした「小説を音楽にするユニット」をコンセプトに活動するアーティストだ。
9/18㈮、その元となった小説を集めた短編集が刊行された。

この短編集、実は素人が書いたものである。もちろん編集はプロだが。
言わば、YOASOBIが歌うことも含め、メディアミクスされることを前提に募集されたウェブ小説なのである。

なので、正直文章力には期待しない方がいい。
ただ、何が審査員を惹きつけたかを考えると面白いかもしれない。

ネットで意思表示が容易になった昨今、評論家気取りの素人が散見される。私もその一人ではあるが。
まあ、この本は、そうした評論家気取りにボロクソ言われるだろうなというのが正直な感想である。

多分、『タナトスの誘惑』『夜に溶ける』は明らかに発想力だろう。そして、単に小説として評価するなら発想力だけを褒めるべきなのだろうが、この企画には「音楽にする」というイベントが付きまとう。
これを歌にするなら間違いなく自殺を題材に歌わなければならないのだが、よく歌う気になったなと思った。
これが元の楽曲『夜に駆ける』は「君は初めて笑った」が何とも皮肉的で、今まで主人公が「君」の笑顔のために奔走していたのに、最後には「君」に主導権が移っている。
それを不思議に思っていたのだが、小説もまさにそう。いや、もしかしたら最初から「君」にあったものが、クライマックスで露呈しただけかもしれない。



YOASOBIの楽曲は『夜に駆ける』『ハルジオン』以外は聴いていないのだが、残念ながら今回は『ハルジオン』の原作は収録されていない模様。
なので、この短編集に収録されている話が元の楽曲は『夜に駆ける』しか聴いていないことになる。
これ以降は、単純に物語の感想として書いていく。


『あの夢をなぞって』の原作『夢の雫と星の花』は最初はそんなに文章力は感じなかったが、主人公が花火師を訪ねるところから文章力が上がったように感じた。ただ、それは読んだ日が違ったから、私の心持ちが変わったのかもしれない。
花火の描写が綺麗で、また、花火を作る過程にもやけに強いものを感じて、作者自身花火に思い入れがあるのかな?と思った。


『たぶん』はもう少し物音の犯人を探る描写が多いと短編として面白いのでは?と思った。『たぶん』というタイトルの意味合いも増してくると思う。YOASOBIのヴォーカルのikuraが「主人公がずっと目を瞑っているところが面白い」と言っていたが、そう、そこ!そこがこの小説の唯一無二の味なのだから、そこをもっと広げてほしかった。そうするとかなりちっぽけな世界の話になるが、短編だから描ける世界だとも思う。


『未発表曲』の原作……ということだが、10/1になにやら発表があるようなので、恐らくコレ絡みだろうと思ってる短編『世界の終わりと、さよならのうた』
美しい話だと思う。世界の終わりの日に出会った二人が、忘れかけた音楽を奏でる話。
私は音楽人ではないが、音楽人が読んで何を感じるか、聴いてみたい。
これを「骨」にした楽曲、楽しみだ。


また、最後にはYOASOBIの二人によるインタビューも載っている。先にも書いたが、この短編集には「音楽にする」というイベントが付きまとう。それ込みの評価であるから、小説と音楽、両方を楽しめる人に読んでほしい一冊である。

理恵

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