ホーム > 詩人の部屋 > 理恵の部屋 > 日記

理恵の日記

2020年12月


1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31


<< 前の月次の月 >>

日指定

プロフィール
詩人名 : 理恵
詩人ID : Sakura1ie

ワード検索

最新ログ

過去ログ
2025年10月(1)
2023年02月(2)
2023年01月(2)
2022年12月(2)
2022年08月(3)
2022年03月(1)
2022年02月(1)
2022年01月(1)
2021年12月(1)
2021年11月(3)
2021年10月(1)
2021年09月(2)
2021年07月(3)
2021年06月(2)
2021年05月(1)
2021年04月(3)
2021年03月(2)
2021年02月(7)
2021年01月(2)
2020年12月(3)
2020年11月(3)
2020年09月(6)
2020年03月(1)
2019年12月(2)
2019年08月(1)
2019年06月(1)
2019年04月(4)
2019年02月(3)
2019年01月(2)
2018年12月(4)
2018年11月(4)
2018年10月(5)
2018年09月(1)
2018年08月(3)
2018年07月(2)
2018年06月(1)
2018年05月(1)
2018年04月(1)
2018年03月(3)
2018年01月(2)
2017年12月(1)
2017年11月(2)
2017年09月(2)
2017年08月(4)
2017年01月(4)
2016年12月(3)
2016年11月(3)
2016年08月(5)
2016年07月(1)
2016年06月(2)
2016年05月(1)
2016年02月(3)
2016年01月(1)
2015年12月(1)
2015年11月(4)
2015年10月(1)
2015年09月(1)
2015年08月(4)
2015年07月(1)
2015年05月(1)
2015年03月(3)
2015年02月(1)
2014年11月(1)

夢日記
2020/12/27(Sun)

ものすごく悲しい夢を見た
私の知人(誰かは定かではない。血縁な気がする)が入院している病院に、
Play.Gooseのメンバーが入院している夢だ。


病院には、入院関係で知り合った人も出てくる。
私が見舞った知人は芳しくない状態であったが、
偶然居合わせた人に母が「○○さん、ご容態相変わらずですか?」みたいなことを聞いて、
その人が悲しそうに「そうですね」と会話していた。
私はそこで、その病院に入院しているPlay.Gooseのメンバーに気持ちを馳せるのだ。



彼らは悲惨な事故に巻き込まれて何年か(おそらく1〜3年ほど)昏睡状態の設定だった。
私は自分が知人の見舞いのために通っている病院に彼らが入院していると知りながら、
見舞いに行くことを躊躇っていた。


それは私が普段から自分にそういう自己像を持っていないから、優しい行動や思い切った行動をすることを躊躇う傾向があることも邪魔していたし
私はその中で「私はただのファンなのに、それはファンとアーティストを超える行為だからやってはいけない」とか「見たらきっと抱きついたりとか、突飛な行動を取ってしまうかもしれない」とか、心の中で言い訳していた。
なぜか病院ではしゃいでる子たちがいたな。今はその子たちが邪魔だし、とも思っていた。


ちょっと謎なところがあるんだけど、メンバーがいないのになぜかP.Gとして2枚目のアルバムが出ていた。
最初にメンバーがICUに入っているという設定が出てきた時は「全員入院している」という設定だったが、
そのアルバムが出てきた時点では「残されたメンバーで活動している」という設定だった。
だけど、「全員入院している」という感覚は夢が終わるまであった。
これは夢あるあるの「わけのわからない設定」なのだろうが。




ともかく、私はその時、たまたまその2ndアルバムを持っていた。
自宅から出るまでは知人の見舞いのことしか考えていなかったが、ちょうどリリースされた直後で、それを持ち歩いていた。


私は入院しているメンバーを思い出したとき、鞄からちらりとそのアルバムを取り出した。
先ほど見舞わない言い訳を並べたが、同時に残されたメンバーでちゃんと活動してるよ、他のGoosehouse卒業生、現メンバーも元気でやってるよって報告したいな、とか考えていた。見舞わない理由を打ち消すためには、見舞う理由が必要だったから、これも「言い訳」だ。
また、知人の見舞いの都合上、病院のスタッフとも知り合いなので、上手く言えばきっと見舞うのが簡単なこともわかっていた。


だけど、言ってしまえば「ただひと目見たい」「会いたい」が本当だったのではないだろうか


ただ、どれも言い訳でありながら、本心であることも変わらない。手を握ることさえ許されるかわからないのにもっと大きく触れたいと思ってしまったら、と考えると怖かった。


ちなみに夢の中の私が直接見たわけではないが
しっかり人工呼吸器に繋がる姿が出てきて
今もまぶたの裏に焼き付いていて怖い。
今後、彼らを見る度に思い出してしまいそうだ。


私はなんか「受験生」という設定で、学生の頃に戻っていた。
だが勉強する気は起きなくて、毎日イラストを書いたり歌詞を書いたりしていた。
だから私は自分の気持ちを落ち着かせるため、今年最後の作詞として一度彼らへの気持ちを書こうか、と考える。
だが、そうやって勉強から逃げてる自分で彼らに会えるのか、という気持ちが掠める。
そこで、「じゃあ、まずは一日二時間勉強できたら見舞おう」と、決定ではないもののうっすら思ったところで目が覚めた。
その時の私は、立派なことを言いながら手元ではイラストを描いていたのがヤバい。
しかも、塗り方とかめちゃくちゃでかなり幼稚園児っぽい絵だった……。




こんな夢を見たのは、昨日Play.Gooseの配信を見たから?
それにしても、なぜこんなに悲しい夢なのか理解できなくて
いつもなら、その人(P.Gとは限らない)の楽しい姿を見たあとに悲しい夢なんて見ないから
まるでその楽しい時間の延長線上みたいな夢を見るから
思わず「夢占い ○○(関連しそうなワード)」で調べてしまったよ



一つ出てきたのは、
「見舞った人を心配している夢なら、その人に愛情や友情を示したいと思っている」というもの。
もう一つは、
「見舞った相手が悲惨な状態、重病人であれば、その人に嫉妬心・敵対心・勝ちたいという気持ちを抱いている」というもの。


私は彼らを見舞ったわけではないが、まあまあ近いだろう。
前者は、潜在意識の可能性がある、と思った。先ほども言ったように、私はポジティブな自己像を持っていないから、度々踏み出さなきゃいけないところで足踏みしてしまう。その根底にはきっと親からの愛情不足があるから、距離感を無視して彼らに愛情を示してしまったら重くなってしまうのではないか、と思うことは多々ある。
後者には正直、ピンとこない。そもそも生きているフィールドが違うから。
ただ、なんでこの人たち、こんなに眩しいんだろう、と思うことならある。
信頼できる仲間を得ていることも眩しく感じることもある。
それが「嫉妬心」にあたる可能性ならあるかな。
顕在意識では敵対心は0だし、人間的に勝ちたいと思ったところで勝てないとも思う(なぜ人間的に、と言うかというと、先ほども書いたように生きているフィールドが違うから、もし比べるなら人間性しかないからだ)。


うーん、これから着替えてまなみんのアーカイブ見よう。その後上がってる動画を見よう。今夜はさや姉の配信もある。なんか無性に彼らに触れたいよ(変な意味ではない。コンテンツを視聴したい)
あー、でもなー。
この夢を思い出してしまいそう……。
なんてこった……。

理恵

前日]   [理恵の日記]   [翌日
- 詩人の部屋 -